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曹操死後の夏侯惇
夏侯惇は曹操の絶大な信頼を得て、車での同乗や寝室への出入りも許可されていました。しかし、夏侯惇は調子に乗ることはせず、余分な金は分け与えたり、陣中でも師を呼んで学問にはげむなど尊敬されていました。
曹操が亡くなったのは220年の正月で、跡を継いだ曹丕は夏侯惇を事実上の軍事最高職「大将軍」に任命します。曹丕ももちろん夏侯惇の功績を重んじており、それに報いた人事だったのでしょう。
ただ、曹操が死んだ3か月後、夏侯惇も亡くなってしまい、まるで後を追ったようでした。曹丕も曹操亡きあと、軍事面で大いに助けてもらいたかったはずで、その死には大いに落胆したことでしょう。
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夏侯惇の死後、位だけは高い子孫たち
夏侯惇が亡くなると、その息子たちそれぞれにも爵位が与えられています。夏侯惇の後継ぎは「夏侯充」という長男ですが、これと言って功績が見当たりません。
しかし、父親の功績によりかなり高位にいたと考えられます。夏候充には「夏侯楙」という弟がいて、彼は夏侯淵の任務を継ぎ、曹丕の妹を娶るなど優遇されます。これだけでも曹丕の夏侯惇への思い入れが想像できます。
でも夏侯楙は「女好きで金儲けが好き、でも無能」というとんでもない人物であり、曹丕も頭を抱えたことでしょう。
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三国志ライターみうらの独り言
曹丕と夏侯惇の関係は正史ではよくわかりませんが、想像するに曹丕は夏侯惇をとても尊敬していたのでしょう。曹丕は剣術が得意だったそうですが、その師匠が夏侯惇だったら面白いですよね。
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