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関羽が魏に仕えてたら曹操は死んでいた?関羽は魏で飼い殺される?

2021年3月7日


 

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関羽に惚れる曹操

 

関羽(かんう)曹操(そうそう)に降ったエピソードは有名です。

 

顔良と関羽

 

特に三国志演義ではそこから義理や忠義を重んじて曹操ではなく、漢に降るなどの3つの条件を取り付けたり、官渡(かんと)顔良(がんりょう)文醜(ぶんしゅう)を斬って曹操に恩を返す、五関六将を破って劉備(りゅうび)の元へ帰ると関羽の見せ場とも言えるシーンが満載。

 

大きすぎる関羽像

 

しかし、ここでついつい考えてしまうのが異なる結末です。例えばゲームなどでは関羽が曹操の元へ留まったらというifシナリオがありますが、今回はそれに習って関羽が曹操の元に残ったら魏はどうなっていたのかを考えてみたいと思います。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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関羽と曹操の最強タッグ

関羽が大好きすぎる曹操 ver2

 

曹操といえば異常なほど関羽に惚れ込んだ人物。関羽が投降した後も偏将軍や漢寿亭候(かんじゅていこう)の爵位を授けていますし、様々な恩賞を与えて劉備の元に返さないように画策したほどです。

 

劉備とはぐれて心配する関羽

 

恐らく関羽が劉備の元へ帰らなかったとしたら非常に喜んで重宝したことでしょう。人を使うのが上手かった曹操と早い段階で劉備の独立部隊として働いていた万能な関羽が組めば正に鬼に金棒。

 

とはいえ、武将一人の力で大きく歴史が変わるとは考えられません。せめていくつかの戦の結果が変わったくらいではないでしょうか。

 

あるいは劉備が荊州(けいしゅう)を領有できない、あるいは益州(えきしゅう)を獲得した後すぐに孫権(そんけん)が荊州を奪うなど勢力図には多少の変化があったかもしれません。しかし、これは関羽がおとなしく曹操に従っていた場合の話です。

 

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関羽は曹操を恨んでいた?

激怒する関羽

 

実は関羽は曹操を恨んでいた可能性があります。

 

曹操に命乞いをする呂布と反対する劉備

 

なぜなら、劉備と曹操が呂布(りょふ)を攻め滅ぼした際、関羽は呂布の配下だった秦宜禄(しんぎろく)の妻の杜氏(とし)を娶りたいと曹操に願い出て許可を得たものの、後に杜氏の美しさに惹かれた曹操が約束を反故にして自らの側室としているためです。

 

貂蝉を奪い合う曹操と関羽

 

一度は娶っていいと許可をもらったことを考えても関羽は面目を潰されているわけで、少なからず恨みはあったでしょう。そんな恋敵がいくら高待遇で誘ってきても留まるはずがありません。

 

また、曹操は後に杜氏との間に子供を何人も儲けていますが、曹操の元に留まれば嫌でもそういった話が入ってきます。ましてや関羽が曹操に降ったのは、呂布を滅ぼした2年後と時間もそれほど経過していません。

 

はじめてのプロ野球 関羽

 

そのため、関羽が何かしらの理由で完全に曹操に降ったとしても、どこかのタイミングで不満が爆発して曹操を殺すことを画策したはずです。それが成功するかは別にしても曹操やその配下たちは大いに動揺するでしょうし、それに乗じて他の勢力が攻めてくる可能性もあるので、関羽と曹操が仲良く手を組むようなことは起きなかったと筆者は考えています。

 

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三国志主要戦図一覧

 

もしも曹操が魏の武将だったら

皇帝に就任した曹丕

 

関羽が曹操に降り、そのまま魏の武将となっていたらどうなっていたのでしょうか。魏を建国するのが史実通り曹丕(そうひ)であるならば、おそらく関羽はお払い箱になっていたでしょう。

 

関羽が大好きすぎる曹操

 

そもそも魏は人材が豊富で、戦に長けた人物も内政が得意な人物も数え切れないほどいます。関羽は曹操に見込まれただけで、万人が評価していたわけではありません。

 

関羽

 

そうなると曹操の死後は当然冷遇されるはずです。仮に貴族などで後ろ盾があるならそれなりの役職には就けたと思いますが、それもない関羽は恐らく飼い殺されて終わりでしょう。

 

結局のところ、関羽は劉備の配下として三国にとっての要地である荊州を任されていたからこそ曹操も孫権も驚異に感じていただけで、そういった状況が伴わなければ一般レベルか、それより少し上くらいの評価しかなかったのです。

 

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関羽が孫権に降っていたら

関羽に無視される孫権

 

三国志演義では襄陽(じょうよう)での敗戦後、関羽は孫権軍の捕虜になります。その際に孫権は関羽を懐柔できないかと画策をしていますが、仮にこれが成功していたらどうなっていたでしょうか。

 

関羽を油断させる陸遜

 

恐らく関羽は呂蒙(りょもう)陸遜(りくそん)らと共に再び荊州の守備をすることになったはずです。曹操は関羽を驚異と感じているので、北への備えとして使う分には十分な効果を発揮します。

 

夷陵の戦いで負ける劉備

 

また、劉備に対しての牽制としても有効です。関羽自身も特別な感情があるので、劉備軍とはまともに戦えなかったと思いますが、劉備も同様なのであえて荊州を攻めることはしないように思います。

 

そして孫権軍は荊州と合肥(ごうひ)方面から同時に魏領内に侵攻。ただ、結局は国力で大きく遅れを取っているので、呉の領土が多少広がったとしても大局には響かなかったでしょう。

 

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三国志ライターTKのひとりごと

 

劉曄は関羽に対して小国である蜀にとって唯一の名将という評価を下しています。ポジティブに捉えれば関羽は蜀の中で一番凄い人物であったと考えられますが、大国である魏からすれば関羽程度は掃いて捨てるほどいるとも取れるのではないでしょうか。

 

神様になった関羽(関帝廟ver1)

 

そう考えると関羽は魏に仕えたとしても頭角を表すことはできず、現在のように神格化されることもなかったはずです。関羽の魅力とはあくまでも弱小勢力だった劉備のもとにいてこそ光るものであり、だからこそ曹操や孫権など他勢力が価値を感じたというのが筆者の見解です。

 

みなさんはどうお考えになるでしょうか。

 

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TK

KOEIの「三國無双2」をきっかけに三国志にハマる。
それを機に社会科(主に歴史)の成績が向上。 もっと中国史を知ろうと中国語を学ぶために留学するが 後になって現代語と古語が違うことに気づく。


好きな歴史人物:
関羽、斎藤一、アレクサンドロス大王、鄭成功など

何か一言:
最近は正史をもとに当時の文化背景など多角的な面から 考察するのが面白いなと思ってます。 そういった記事で皆様に楽しんでもらえたら幸いです。

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