「三国志」では優秀な武将が数多く活躍し、皆の心をつかんでいます。しかし、その裏では「愚者」と言われるようなあまり功績を残せなかった、有能ではなかった武将たちもいるのです。
彼らはそのミスを運悪く記録に残されてしまったわけで、かわいそうなのではありますが、どんなことをしてしまい「愚者」扱いされてしまったのか考えてみましょう。
仕事は出来るがとにかく態度が悪かった「彭羕」
彭羕は身長が当時としてはかなり高い180センチ以上あり、容貌は「甚だ魁偉(たくましい感じ)」だったといいます。
しかし、ルックスは申し分ないものの、傲慢な性格で、人を軽んじる癖があり出世ができず、劉璋に仕えていたときは捕えられ、労役囚になっていました。
劉備が益州入りした時、彭羕はいきなり劉備の軍師「龐統」の元を訪ね、自分をアピールしました。ちなみに龐統と彭羕はまったく面識が無かったそうです。
語り合ってみると龐統は彭羕を高く評価し、彼を劉備に推薦しました。試しに劉備が彭羕に仕事を与えてみると、ことごとく劉備の意にかなった行動をし、仕事も完璧にこなしました。そうして彭羕は劉備に仕えることが出来、その陣営で異例の抜擢をされることになったのです。
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またしても思い上がる「彭羕」
彭羕は「治中従事」という官職につきました。これは今でいう副知事なような役職で、彼はいきなり人の上に立つことになります。ここでまた悪い癖が出て、彭羕は傲慢に振る舞い、人々は眉をひそめるようになってしまいます。
諸葛亮はそのことを良く思っておらず、たまらず劉備に「彼には野心があります、おとなしく仕えるとは思えません。」と伝えました。劉備は彭羕を買っていたので、まさかという気持ちで彼を観察してみると、まさしく皆が言う通り傲慢な人物だったらしく、早速彭羕を左遷します。
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「彭羕」投獄され、記録に残る弁明をする
彭羕は左遷を不満に思い、何故か「馬超」に会いに行き、愚痴をこぼしました。
彭羕は劉備について「あの老革(老いぼれ)は耄碌して話にならない。」といい、馬超に「貴公が外側(軍事)を受け持ち、私が内側(内政)を受け持ったなら天下など簡単に取れるだろうに。」と漏らしました。
当時馬超は蜀に帰順したばかりで不安定な身分だったため、この謀反とも取れる発言に驚き、彭羕が帰った後に細かく彭羕の発言の内容を上奏(上層部に伝える事)しました。
直ぐに彭羕は逮捕され、投獄されます。獄中から彭羕は諸葛亮に弁明の手紙を出します。「老革と言ったのは酒の勢いで、劉備様は老いてなどいない、むしろ功績を上げるのに老若は関係ありませんよ。」
「馬超殿に内外云々言ったのは馬超に軍事を担当させ、ともに曹操を討とうと考えただけで、謀反など考えていない、馬超がこの言葉を伝えたのは正しいことだが、言葉の真意が伝わらなかっただけ。」と必死の弁明文でした。
正史「三国志」の「彭羕伝」では半分近くがこの弁明文で占められています。ただ、弁解むなしく彭羕は処刑されてしまったのです。
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ダメな2世の代表格「夏侯楙」
夏侯楙は正史「三国志」に伝記はありませんが、後年三国志の「注」(追加の文章)に引用された「魏略(魏の歴史書)」に記述があります。夏侯楙は魏の功臣「夏候惇」の息子で、曹操の娘を妻にし、父の功績により将軍職を得ます。
しかし、軍勢を指揮するのは苦手で、蜀の「魏延」に「夏侯楙は臆病者で軍略もない、だから彼が守る長安を強襲しよう。」と言われるほどでした。
また彼は「金儲けと女好き」でもあり、多くの妾を囲っていました。その為妻との仲が険悪になり、加えて弟たちとも揉めたことから、妻や弟に罪をでっち上げられ、投獄されてしまいます。
皇帝の「曹叡」は夏侯楙を処刑しようとしますが、家臣に「これは夏侯楙が妻と仲が悪くなったことから生まれた嘘の密告でしょう。彼の父は大変功績のある人ですから、許してあげてください。」と弁護され、処刑はされませんでした。その後の夏侯楙がどうなったのかは不明です。
とにかく父の功績に助けられただけの人物だったようです。小説「三国志演義」ではきわめて無能に描かれ、戦に大敗して捕えられたり、最後は異民族の所へ逃亡してしまう等、散々な扱いをされています。
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三国志ライターみうらの独り言
今回は2人の「愚者」を紹介しました。1人は能力はあるけど、性格が悪く、もうひとりは父の功績のみで出世した人物でした。今の社会でもそのような人たちはいますね。とても付き合いの難しい「愚者」ですが、自分は果たしでどうなのか、と考えると彼らに同情もしてしまいますね。
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