しくじり先生 俺みたいになるな!! 三国志史上愚者なツートップを考察

2021年8月8日


 

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最終的には協力して戦う李典や楽進と張遼

 

三国志」では優秀な武将が数多く活躍し、皆の心をつかんでいます。しかし、その裏では「愚者」と言われるようなあまり功績を残せなかった、有能ではなかった武将たちもいるのです。

 

戦意を喪失し曹操に降伏する張衛

 

彼らはそのミスを運悪く記録に残されてしまったわけで、かわいそうなのではありますが、どんなことをしてしまい「愚者」扱いされてしまったのか考えてみましょう。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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仕事は出来るがとにかく態度が悪かった「彭羕」

身長192センチもある彭羕

 

彭羕(ほうよう)羕は身長が当時としてはかなり高い180センチ以上あり、容貌は「甚だ魁偉(かいい)(たくましい感じ)」だったといいます。

 

劉璋(りゅうしょう)

 

しかし、ルックスは申し分ないものの、傲慢な性格で、人を軽んじる癖があり出世ができず、劉璋(りゅうしょう)に仕えていたときは捕えられ、労役囚になっていました。

 

龐統

 

劉備(りゅうび)益州(えきしゅう)入りした時、彭羕はいきなり劉備の軍師「龐統(ほうとう)」の元を訪ね、自分をアピールしました。ちなみに龐統と彭羕はまったく面識が無かったそうです。

 

策略が得意な龐統

 

語り合ってみると龐統は彭羕を高く評価し、彼を劉備に推薦しました。試しに劉備が彭羕に仕事を与えてみると、ことごとく劉備の意にかなった行動をし、仕事も完璧にこなしました。そうして彭羕は劉備に仕えることが出来、その陣営で異例の抜擢をされることになったのです。

 

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またしても思い上がる「彭羕」

劉備に登用されたことを自慢する彭羕

 

彭羕は「治中従事」という官職につきました。これは今でいう副知事なような役職で、彼はいきなり人の上に立つことになります。ここでまた悪い癖が出て、彭羕は傲慢に振る舞い、人々は眉をひそめるようになってしまいます。

 

孔明

 

諸葛亮(しょかつりょう)はそのことを良く思っておらず、たまらず劉備に「彼には野心があります、おとなしく仕えるとは思えません。」と伝えました。劉備は彭羕を買っていたので、まさかという気持ちで彼を観察してみると、まさしく皆が言う通り傲慢な人物だったらしく、早速彭羕を左遷します。

 

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法正

 

 

「彭羕」投獄され、記録に残る弁明をする

五虎大将軍の馬超

 

彭羕は左遷を不満に思い、何故か「馬超(ばちょう)」に会いに行き、愚痴をこぼしました。

 

彭羕は劉備について「あの老革(老いぼれ)は耄碌(もうろく)して話にならない。」といい、馬超に「貴公が外側(軍事)を受け持ち、私が内側(内政)を受け持ったなら天下など簡単に取れるだろうに。」と漏らしました。

 

劉備軍に降伏する馬超

 

当時馬超は蜀に帰順したばかりで不安定な身分だったため、この謀反とも取れる発言に驚き、彭羕が帰った後に細かく彭羕の発言の内容を上奏(上層部に伝える事)しました。

 

直ぐに彭羕は逮捕され、投獄されます。獄中から彭羕は諸葛亮に弁明の手紙を出します。「老革と言ったのは酒の勢いで、劉備様は老いてなどいない、むしろ功績を上げるのに老若は関係ありませんよ。」

 

 

曹操を追い詰めた馬超

 

「馬超殿に内外云々言ったのは馬超に軍事を担当させ、ともに曹操(そうそう)を討とうと考えただけで、謀反など考えていない、馬超がこの言葉を伝えたのは正しいことだが、言葉の真意が伝わらなかっただけ。」と必死の弁明文でした。

 

正史三国志_書類

 

正史「三国志」の「彭羕伝」では半分近くがこの弁明文で占められています。ただ、弁解むなしく彭羕は処刑されてしまったのです。

 

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ダメな2世の代表格「夏侯楙」

夏侯楙

 

夏侯楙(かこうぼう)は正史「三国志」に伝記はありませんが、後年三国志の「注」(追加の文章)に引用された「魏略(ぎりゃく)(魏の歴史書)」に記述があります。夏侯楙は魏の功臣「夏候惇(かこうとん)」の息子で、曹操の娘を妻にし、父の功績により将軍職を得ます。

 

匠に兵士を操る夏侯楙

 

しかし、軍勢を指揮するのは苦手で、蜀の「魏延(ぎえん)」に「夏侯楙は臆病者で軍略もない、だから彼が守る長安を強襲しよう。」と言われるほどでした。

 

権力を使って女性とイチャイチャする夏侯楙

 

また彼は「金儲けと女好き」でもあり、多くの妾を囲っていました。その為妻との仲が険悪になり、加えて弟たちとも揉めたことから、妻や弟に罪をでっち上げられ、投獄されてしまいます。

 

曹叡

 

皇帝の「曹叡(そうえい)」は夏侯楙を処刑しようとしますが、家臣に「これは夏侯楙が妻と仲が悪くなったことから生まれた嘘の密告でしょう。彼の父は大変功績のある人ですから、許してあげてください。」と弁護され、処刑はされませんでした。その後の夏侯楙がどうなったのかは不明です。

 

三国志演義_書類

 

とにかく父の功績に助けられただけの人物だったようです。小説「三国志演義」ではきわめて無能に描かれ、戦に大敗して捕えられたり、最後は異民族の所へ逃亡してしまう等、散々な扱いをされています。

 

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三国志ライターみうらの独り言

みうらひろし(提供)

 

今回は2人の「愚者」を紹介しました。1人は能力はあるけど、性格が悪く、もうひとりは父の功績のみで出世した人物でした。今の社会でもそのような人たちはいますね。とても付き合いの難しい「愚者」ですが、自分は果たしでどうなのか、と考えると彼らに同情もしてしまいますね。

 

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全訳三国志演義

 

 

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みうらひろし

歴史が好きになったきっかけはテレビの再放送で観た人形劇の三国志でした。そこから歴史、時代小説にはまり現在に至ります。日本史ももちろん好きですよ。推しの小説家は伊東潤さんと北方謙三さん。 好きな歴史人物: 呂蒙、鄧艾、長宗我部盛親 何か一言: 中国で三国志グッツを買おうとしたら「これは日本人しか買わないよ!」と(日本語で)言われたのが思い出です。

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