差異が生まれた理由について
そこで思い出して欲しいのが、施耐庵、もしくは羅貫中という執筆者が「複数いた場合」の説。複数の執筆者がいて、そしてその複数で話をまとめるとなると編集者が必要であり、編集者がいないとどうしても作品に微量な「違い」が生まれ、それがどんどんと大きくなって「差異」が生まれることになってしまいます。
なのでもしも「複数の執筆者がいた」となると武松や林冲の性格の違いは「執筆者による齟齬」となるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
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三国志演義との違い
因みに「羅貫中がたくさんいたとしても、三国志演義はそこまで分裂されてないんじゃない?」という考えもありますが、そもそも三国志演義は元々が「三国志」という土台があるので、執筆者がたくさんいてもそこまでストーリーがブレることはないと思います。
しかし水滸伝は確固とした元ネタがなく、民間伝承を色々と取り入れていく上で、段々とブレが生じ、揺らぎから目立ちやすい差異になってしまったのでは……と考えてみました。もちろんこれはあくまで推測、下手をすると筆者の想像の域を出ないものではありますが……それはそれとして、お話のネタとして下さいませ。
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三国志ライター センのひとりごと
筆者は歴史ものの小説や漫画、ドラマなどが好きなのですが、当然ながらそういったものは「結果が既に決まって」いますよね。
三国志演義で言うともう桃園の誓いやっている時から「この三人いずれ志半ばで死ぬ」と分かっている訳です。しかしそこに至るまでの過程や、描き方の違いなどの面白さがあり、どれだけ同じ題材でも楽しく読めてしまう方です。
今回はふと「執筆者」について注目してみましたが、皆さんは三国志演義や水滸伝を元にしたもので、特にこれが好き!と言うのはありますでしょうか。よろしければそれをお互いに紹介して、それらの違いもまた、楽しんで下さいね。
ちゃぽーん。
参考文献:水滸伝
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