水滸伝の作者は施耐庵とされていますが、或いは羅貫中とも言われることもあり、はっきりしてはいません。そもそもこの施耐庵も、そして羅漢中もまた謎が多くある人物です。
さて今回は「考察」と銘打ちましたが、そこまで精密に考えたものではございません。ちょっと色々考えてみたよ!レベルのいつもの筆者の呟きになりますが、よろしければどうぞお付き合い下さいませ。
施耐庵(したいあん)
さて施耐庵は元末の張士誠に見込まれ、参謀として招かれたと言われています。ここで施耐庵は幾つもの策謀を授けるのですが、勢力が強まっていくと張士誠は施耐庵の言うことを軽んじるようになっていきました。このため施耐庵は去り、張士誠も後に敗れ、張軍の残党狩りから逃れるために最終的に隠居をして水滸伝などを執筆したと言います。
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実在した?しなかった?
……と、言われていますが、その一方でこの施耐庵という人物は存在しなかったという話もあります。
施耐庵についての資料の信ぴょう性が疑わしい、そもそも殆ど残されていない等など……また三国志演義の執筆者で有名な羅貫中は施耐庵の弟子だった説もありますが、こちらもこちらでちょっと問題点が。なぜなら、羅漢中も羅漢中で謎が多いことで有名だからです。
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羅貫中(らかんちゅう)
さて羅漢中の話を少ししましょう。ご存知、三国志演義の著者とされる羅貫中ですが、実は貫中は字です。実際の名前は羅本となるそうですが、これは字の方が有名になってしまったパターンですね。
そんな羅漢中さん、出自がはっきりしていません。ある記録では山西とされ、またある記録では山東とされ、その人物像もどうだったかすら記録に残っていない人物なのです。
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執筆者の謎
こんな風に良く分かっていな羅貫中さんの最終的な記録は「色んな面白いお話を書きました。でも人と付き合うのは苦手でした。最終的に行方知れずになりました」と書かれているので……当然ながらそこからの歴史は一切不明、更に没年すら不明な謎の人なのです。
このため羅貫中もまた施耐庵と同じく「実在しなかったのでは」と言われ、一説には水滸伝も三国志演義も「色んな人たちが集まって書いたもので、名前は合同ペンネーム」とも言われています。
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差異について
ここから水滸伝のお話に戻しましょう。水滸伝では、キャラクターの差異について度々議論されることがあります。例にすると林冲、武松などが分かりやすいでしょうか。
彼らは前半と後半でかなり性格に違いが出ているので「人生が辛すぎたせい」「こんな体験したら性格も変わる」
というストーリーに踏み込んだものから
「作者が前半のキャラクター設定忘れてるんじゃ……」
「そもそも別のキャラクターと統合されたのでは?」
という考察まで、色々な理由が考えられています。
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