夏侯惇のちょっとしたなぞ
そしてこの時代の鏡と言えば、現代とはまた違います。今でいうコンパクトミラーのようなものでは当然なく、主に銅鏡。そこそこの重量と厚みを持っていたものであり、そもそも割れることはない……とは言えこの時代の銅はまだまだ不純物が多く、もしかしたら割れてしまった可能性もありますが、一応、正史に書かれている段階では「割れたかどうかははっきりしていない」のです。
そしてもう一つ、この時代の鏡についての用途です。
関連記事:樊城の戦いに夏侯惇は来るはずだったの?夏侯惇の意外な一面を知る
銅鏡の使い方
現代では鏡は主に身だしなみを整えるために用いられますが、この時代の銅鏡は主に祭事用です。もう一つの使い方としては呪術の触媒のような使い方であり、果たしてそんな使い方をする銅鏡を叩き付けるような扱いをするのは「罰当たり」ではないかと思うのです。
とは言えそんな罰当たりなことをしてしまうほど夏候惇は己の姿を恥じ、激昂していた……と考えると、そこから三国志演義では猛将という存在になったのではないかと思うのですが、皆さんはどう思いますか?
三国志ライター センのひとりごと
筆者もずっと夏侯惇は鏡を見る度に怒って鏡を割っていたと思っていたのですが、ちょっと詳しく見直すと割ったとまでは書かれていなかったんですよね。そもそも銅鏡と考えると割れるのか……?
もしかしたら割れない鏡に更に苛立って地面に叩きつけていたのかもしれない……そう考えると、普段は穏やかな夏侯惇だからこそ周囲は驚いてこんなエピソードを書き記したのかもしれませんね。
今回はちょっと些細ななぞにも目を向けてみようというコンセプトでしたが……そんなちょっとしたところも深く考えてしまうのが三国志沼の住人ということでご了承ください……ちゃぷん。
参考文献:魏書夏候惇伝 魏略
関連記事:夏侯惇が鏡が嫌いなのはブサイクだから??