夏侯惇伝の注釈・魏略から読み取る魏将・夏侯惇と鏡の違和感

2022年1月21日


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夏侯惇

 

魏の名将、夏侯惇(かこうとん)と言えば隻眼(せきがん)の武将というイメージが強いですよね。彼は呂布(りょふ)との戦いの中、その片目を失うことになりました。その際に「父母から頂いた物を捨てる訳には」と食べてしまった……というのはあくまで三国志演義の創作ですが、その後に起こった彼と鏡とのちょっとしたエピソード。

 

今回はその少しばかりのなぞを考えてみたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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夏侯惇はどちらかというと

曹操と夏侯惇

 

さて夏候惇と言えば曹操(そうそう)が挙兵した際からの股肱(ここう)の臣。曹操から深い信頼を受けていた人物でもあり、それでありながらも曹操からの特別待遇を断るなど清廉かつ、瀟洒な人物でもありました。

 

魏での働きも多く、しかし三国志演義での猛将のイメージとは違い、内政にその腕を十分に振るった人物です。どちらかというと武将というよりも文官のような働きが目に付く人ですね。

 

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猛将のイメージ・夏侯惇

猛将のイメージが強い夏侯惇

 

そんな夏侯惇、イメージすると猛将、というイメージが強いのではないでしょうか?

 

実際に三国志演義のみならず、様々な書籍、ゲームで描かれる夏侯惇像は苛烈な性格をしており、武勇に優れた人物像で描かれています。しかしこれも全く的外れな性格付けということはなく、若い頃に自分の先生を侮辱した相手を殺してしまったというような激しい気性を表すようなエピソードも残っているんですね。

 

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盲夏候

鏡を見ると怒って割っていた夏侯惇

 

夏侯惇が左目を失ったのは呂布との戦いの中であり、これは夏候惇の中でも強いコンプレックスとなりました。夏侯惇は同族に夏侯淵(かこうえん)がいますが、この夏侯淵と区別するために「盲夏侯」と呼ばれたことがあったと言います。しかし当然ながら夏侯惇はこの呼び方が大嫌いで、自分の姿を見るのも嫌だったのか、鏡を見ると怒って割っていた……というのは有名な話です。

 

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魏のマイナー武将列伝

 

 

儒教と肉体の欠損

目玉を食べる夏侯惇

 

これは当時の価値観的な話になりますが、三国志演義で夏侯惇が「父母から貰ったものを」と言ってその目を食べてしまったように、この時代における親というものは絶対なものでもありました。

 

肉体的な欠損はそんな親、ひいては先祖に対する不孝です。宦官が蔑まれるのにもそういった時代の観点があったからでもあります。夏侯惇もさぞかしこの件については悩んでいたことでしょう。と、ここでちょっと考えたいのが「夏侯惇は鏡を見ると怒って割っていた」という所です。

 

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孔門十哲

 

 

※原文からの引用

三国志を楽しく語るライターセン様

 

この鏡の一件は正史三国志、夏侯惇伝の注釈、魏略からの引用として載せられているエピソードです。

 

まずは原文そのままでご紹介しましょう。

 

 

魏略曰、時夏侯淵與惇倶為將軍、軍中號惇為盲夏侯。

惇惡之、照鏡恚怒、輒撲鏡于地。

夏侯惇伝 魏略

 

これはちょっと訳して見ると、どうやら「怒って鏡を投げた」もしくは「怒って鏡を地面に叩きつけた」となっており、割るまでは至ってないのですね。

 

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両親の持っていた横山光輝の「三国志」から三国志に興味を持ち、 そこから正史を読み漁ってその前後の年代も読むようになっていく。 中国歴史だけでなく日本史、世界史も好き。 神話も好きでインド神話とメソポタミア神話から古代シュメール人の生活にも興味が出てきた。 好きな歴史人物: 張遼、龐統、司馬徽、立花道雪、その他にもたくさん 何か一言: 歴史は食事、神話はおやつ、文字は飲み物

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