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まとめ:あまりに有能な皇帝がいるとドラマが生まれないというこの皮肉!
転生してきた光武帝がこのように動いたとしたら、群雄割拠の乱世がそもそも始まりません。民にとっては、たいへんにありがたいはずの、この展開。
しかし!
なんと、これではそもそも「三国志という歴史ロマンそれ自体が生まれない」ことになってしまいます!
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三国志ライターYASHIROの独り言
それにしても、よくよく考えると、なんと皮肉なことでしょうか。
たとえば「項羽と劉邦」が人気の物語なのは、天下取りが中国史上でも稀に見るドラマチックな展開にもつれこんだからです。そして「三国志」が人気の物語なのも、魏呉蜀の三国が激しく戦ったからです。
いっぽう、「光武帝が漢王朝を復興させた物語」など、その詳細を誰が知っていますでしょうか?
世界史の教科書で、「漢は一度滅んだが、光武帝こと劉秀によって復興した。このあとの漢王朝を後漢と呼ぶ」と一行にまとめられているくらいではないでしょうか?
光武帝がやったことは、曹操も劉備も孫権も果たせなかった巨大なことなのに、それを軽々とやってしまったせいで、歴史物語の主人公としては選ばれない。
そんな人が三国時代の始まりに転生してきて、後漢王朝の衰退を見事に止めてしまったら、そもそも三国志が始まらず、歴史大河ドラマも始まらないのでした。なんという光武帝の矛盾!
平和とはそんなに退屈なことなのか?
あるいは、ドラマ性というのはそんなにも過酷なことを人民に強いるものなのか?
などなど、いろいろなことを考えさせる「もし光武帝が三国時代に転生したら?」の仮定でした。
なお、最後に。私自身としてはもうひとつ、どうしても、気になることがあります。
光武帝が転生してきて後漢王朝を再復興させてしまったら、今度の「漢王朝」はなんと呼べばいいのでしょう?
「後後漢」でしょうか?それとも、私たちが後漢と呼んできたあの王朝には「中漢」に繰り上がってもらい、転生した光武帝が復興したほうが「後漢」になるのでしょうか?
いずれにせよ、世界史の教科書に、なんとも覚えにくい王朝名がひとつ、増えてしまうことになりそうです。
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