袁紹「え、なに!?」
ともあれブチ切れた公孫サン、怒涛の勢いで袁紹を攻撃。これには袁紹も驚き狼狽します。正に「怒涛」と言わんばかりに袁紹陣営に攻撃を加え、切り崩していく公孫サンでしたが……長期戦の後、最終的に公孫サンは敗北しました。
ここで一番運命が変わってしまったのは、公孫サンでも、袁紹でもなく、劉虞です。元々仲が悪かった同僚が敗北して弱まっている、本来ならばこれがチャンスだったのですが……。
関連記事:劉備だけじゃない、漢王室の末裔 劉虞
関連記事:みじめな最期を遂げた公孫瓚が袁紹に勝利するためのシナリオとは?
逃しに逃した果て
劉虞は部下に進言されて絶好のチャンスを逃したばかりか、公孫サンに時間と機会を与えてしまい、敗北してしまいました。人望が厚かった劉虞の助命嘆願が幾つも届きますが、公孫サンはこれを撥ねつけて無茶な命令の果てに劉虞を処刑。
しかしこの劉虞処刑は袁紹の怒りに火を付け、公孫サンは今度こそ袁紹に滅ぼされるのでした。これが袁紹と公孫サンの戦いの経緯と結果です。そしてそこに関わってきたのが、公孫越の死だったのですね。
もちろん同族、従弟を失った訳なのでその心情は理解できますが、聊か公孫サンも行動が焦り過ぎたように思います。ただ公孫サンの劉虞への対応から、今度は袁紹の怒りを買ったことを考えると……ああ、乱世だなぁ。そんな思いを抱かずにはいられない筆者でした。
関連記事:公孫瓚はクズ野郎だった?北の英傑公孫サンの実像があまりにも酷い件
三国志ライター センのひとりごと
公孫サンは実際には異民族相手に数多くの戦果を挙げていますし、袁紹相手にも最後は負けたとはいえ、善戦過ぎる善戦を行いました。
その発端も従弟を失った、と考えると、中々に主人公目線になり得る人物だと思います。これは今後、公孫サン主役級の三国志もの来ちゃうな!……と思いましたが、どうしても退場が早いので短編になってしまう気も……中々難しいですね。
ともあれ今回は河北よりお届けしました。どぼーん。
参考文献:後漢書列伝公孫サン伝 三国志魏書公孫瓚伝
関連記事:公孫瓚の易京城はどんな城?