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孫魯育も処刑された
さて朱拠に嫁いだ孫魯育、孫夫人ですが、彼女も報われません。夫が自害させられた挙句に、後に彼との子供たちと共に処刑されたのです。かつての皇太子、孫登の子が孫峻にクーデターを起こした際に、彼女の実姉である孫魯斑によって讒言されて首謀者の一味とされたからです。
この一件でなぜ実の姉が妹を陥れたのかは、二宮の変において孫魯斑は孫覇派であり、朱拠が孫和派に属したことから恨みに思っていたのではないか……と言われていますが、真相ははっきりしません。ともあれ、二宮の変が多くの人々の運命を変えてしまったのは間違いないでしょう。
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魏のスパイ隠蕃を見抜けなかった朱拠
最後に、朱拠の慧眼ついて。朱拠は朱桓の子の朱異の才能を見抜くなど人物を見抜く才に長けていたと言われています。が、とある人物を見抜くことができなかったこともありました。それは隠蕃という、魏国から送られてきたスパイのことです。
隠蕃は優秀な人物として様々な人々が彼と交流を持とうとし、朱拠はこの隠蕃を素晴らしい人物と褒め称えていました。しかし後に発覚、処刑。孫権はこの件で朱拠を禁錮処分として長い間謁見禁止としたそうです。もしかしたらこの時から、既に朱拠と孫権の間には溝があったのかもしれませんね。
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三国志ライター センのひとりごと
朱拠は朱一族と言うべきか、それとも呉の家臣と言うべきか、相手が孫権であっても臆せず自分の意見を貫く一人です。しかし、このために孫権の怒りを買った一人でもあります。晩年の孫権からすれば、そういった家臣の態度に長年の不満が一気に噴出したのかもしれませんね。
ともあれ朱拠、二宮の変での被害者の会の一人でした。
ちゃぽん。
参考文献:呉書朱拠伝 胡綜伝 孫和伝
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