【衝撃】劉備は龐統をスパイと見抜いて左遷した!

2020年3月3日


 

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龐統

 

臥竜(がりょう)鳳雛(ほうすう)。一人でも得られれば天下を獲れると言われた天才軍師のかたわれ龐統(ほうとう)

 

劉備に重く採用されなかった龐統

 

しかし、そんな龐統は劉備(りゅうび)に仕官した時に、そのパッとしない容姿の為に一般仕官者と間違えられ、小さな県令に左遷(させん)された話が三国志演義にあります。

 

同年小録(書物・書類)

 

その話の元ネタは正史にもあるのですが、正史の劉備は龐統をスパイと見抜いたから左遷したのです。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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あまりにも怪しい龐統の仕官

統

 

正史における龐統と劉備の関係は突然に始まります。三国志演義(さんごくしえんぎ)と違い、劉備と知り合う前に諸葛亮(しょかつりょう)に紹介状をもらう描写もなく、普通に劉備が龐統を採用。耒陽令(まつようれい)という小さな県令に赴任し、そのまま仕事をボイコット、当然の如くクビになっているのです。

 

魯粛

 

その後、魯粛が劉備に書簡を送り、龐統は百里四方の才能ではなく、治中(じちゅう)別駕(べつが)に任命して、あなたの側近くに置いてこそその才能を発揮しますと、わざとらしい推薦をします。

魯粛

 

さらに諸葛亮まで、魯粛と口裏を合わせたように同じ事を言ったので、劉備は龐統を呼び寄せて語り合い、これを大器と認めて治中従事にしました。突然に出現する龐統と、それを採用して左遷する劉備、仕事を放棄してクビになる龐統。

スマホをいじる孔明

その龐統をヨイショして、劉備の側に置けば、能力を発揮しますよと促す魯粛と諸葛亮と二人の意見を入れて、一度はクビにした龐統を引見して話し合い、今度は側近に取り立てる劉備。あまりにも不自然で怪しすぎると思いませんか?

 



劉備は龐統をスパイと見抜き左遷した

魔のトリオ攻撃が劉備を追いつめる!07 蔡瑁、劉備

 

kawausoは、劉備が最初に龐統を県令に左遷したのは、龐統の見た目うんぬんではなく龐統が呉のスパイだと直感したからだと考えています。本当なら採用したくもないですが、無下(むげ)に断って魯粛の顔を潰すと、呉にいる呂蒙(りょもう)のような劉備に対して強硬な主張をする勢力を勢いづかせる形になります。

劉備の黒歴史

 

そこで、一応県令として採用して左遷し、自分から遠ざけると同時に監視したのです。幸いな事に龐統は、県令の仕事をしなかったので、劉備は職務放棄を理由にして解雇し、魯粛には、それで了承させようとしたのでしょう。

劉備、孫権、魯粛

 

ところが魯粛はそれで納得せず、再度、書簡を出して龐統を使うように劉備に圧力を掛け、おまけに諸葛亮まで口裏を合わせてきたので、劉備は嫌で嫌で仕方がないものの、龐統と会い、語り合った上で自分の秘書にしたわけです。

 

激動の時代を生きた先人たちから学ぶ『ビジネス三国志

ビジネス三国志

 

劉備が龐統をスパイと見抜いた証拠

幕末 魏呉蜀 書物

 

実は、劉備が龐統をスパイと見抜いていたというのは、kawausoの妄想ではありません。正史三国志龐統伝を補う江表伝(こうひょうでん)には、龐統と宴会で打ち解けた劉備が、以下のように訪ねているのです。

 

(けい)(君)は周公瑾(しゅうこうきん)功曹(こうそう)だった(おり)、孤(わし)が呉に到った時、聞けばこの人(周瑜)は密かに建白し、仲謀(ちゅうぼう)孫権)に私を留めるよう勧めたとか。そのような事があったのか? 君主が在れば家臣は君主の為に策は尽くすもの。卿よ、隠さないでくれ

龐統

 

はい、この通り、劉備は龐統がかつて、周瑜の功曹だったことや、周瑜が劉備を呉に留めて贅沢(ぜいたく)三昧(ざんまい)をさせて、関羽や張飛に愛想を尽かさせようとした計略についてちゃんと知っていたのです。これでは、龐統を側近として使ってくれと魯粛に言われても、はい、そうですかとはなかなか言えません。

 

そこで劉備は

夷陵の戦いで負ける劉備

 

「おめぇ、周瑜と一緒に俺を()めようとしただろ?いや、罰しようってんじゃないんだ。家臣が主君の為に計略を立てるのは当然だ。ただ、今後の為に隠さないで欲しいんだ」と追及してみたのです。

 

過去にスパイだった事を認めた龐統

龐統した勝利

 

普通なら、くつろいだ宴会の席でこんな事を切り出されたら、顔面蒼白になりそうなものですが、龐統は大胆な男であり、「はい、ありました」とあっさり過去に周瑜の為に策を立てた事を認めました。ところが、劉備に対しては、それが良かったようです。過去の自分の都合の悪い事を少しも隠さずに白状する龐統に大器を感じた劉備は、むしろ龐統を信用して、自分の幕僚に置く事を決意したのです。

三国志の主人公の劉備

 

(龐士元は、よほどの知恵者だし肝が据わっている。おいらを騙して、ちんけな悪事をするとは思えねぇ、、魯粛が蜀獲りで何を企んでいるか知らねえが、ひとつ賭けに乗ってみるか)

 

おそらく、そんな事を考えて龐統を使ってみようと思ったのでしょう。

 

樸鈍な龐統と侠者劉備はベストコンビ

龐統

 

龐統は若い頃、樸鈍(ぼくどん)な性質で世の中に知られなかったと言います。樸鈍とは、粗削りの材木と切れ味の鈍い刃物の意味で、洗練されてなく田舎くさい。逆に言うと自分を飾ったりせず、自然体で生きている人物という事です。

 

三国志の時代は虚礼が流行し、何事も大袈裟に振る舞う事が普通だったので、龐統のような性格は敬遠はされても、受ける事は少なかったようで、その為世に知られる事が遅れていたのでしょう。

龐統

 

龐統と劉備は、その後意気投合し、入蜀時にコンビとして行動、益州攻略は龐統の力が大きかったのですが、酒の席では益州を落として浮かれる劉備に皮肉を言い、その為に席を出て行くように言われるなど、全く歯に(きぬ)着せぬ対応を貫きました。

劉備

 

しかし、この樸鈍さは劉備が嫌いなタイプではなく、個人としては劉備と龐統はウマがあったような感じがします。

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

龐統が呉のスパイだったのか否か?残念な事にそれは龐統が落鳳坡(らくほうは)で射殺されてしまったので、真相は闇の中です。生きていれば、そのまま劉備に仕えたのか?ある程度の所で、姿を晦まして益州の状況を魯粛に報告したのか、どっちもあり得そうな気がします。どちらにしても、樸鈍な龐統は少しも悪びれず、己の為すべきことを堂々と為したでしょうね。

 

参考文献:正史三国志龐統伝

 

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