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曹丕は丁氏より夏侯氏との関係強化を考えた
ですが、それは曹丕の意図とは違いました。曹丕からすれば別に丁一族に恩義はなく、どちらかというと元々曹家と縁戚関係にある夏侯家との結びつきを強くしたかった。
夏侯家という縁戚関係があるなら、もはや丁一族など不要、いいや、下手な縁故関係を作るくらいならここで切っておきたい……ということで、丁儀ではなく夏侯楙を推したのではないか?
そしてその理由として、丁儀の容貌を引き合いに出したのでは?
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丁儀は曹氏と結ぶため曹植を担いだ
そしてこれは丁一族からするといい迷惑です。一度は切れてしまった関係をもう一度繋ぐチャンスを消されたのですから。ではどうするかと言うと、曹丕の対抗馬に乗るしかない訳です。丁夫人と卞夫人は後の一件から和解しているので、卞夫人のもう一人の子、曹植に付いて……としたが、曹植の失脚でそれは上手くいかず。
そしてそれを理由に曹丕は体よく丁儀らを処刑し、後の皇族の縁戚関係を綺麗にしようとした……という想像ですが、どうでしょうかね?
そもそもとして曹丕の人間の好き嫌いが結構極端なので、本当に丁儀がただ嫌いなだけの可能性も有り得るので……妄想の一つとして、お付き合い下さい。
三国志ライター センのひとりごと
さて皇族の縁戚関係が同行と言い出すと、後の八王の乱が思い起こされますが……晋王朝も、魏王朝の欠点をどうにか対処しようとした結果と考えると、王朝を維持するというのは大変なことですね。
縁戚関係を広くしたい、広くしたら広くしたで外戚がやかましい。じゃあ外戚に権力を渡さないと下手に権力を持たせた家が台頭する……歴史はこれの繰り返しです。皇帝って大変だなぁ……なんて思う筆者でした。
どぼん。
参考:魏書任城陳蕭王伝 魏略
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