卞夫人のライバル?息子がすべて優秀な環夫人

2015年6月11日


13人の妻達(曹操)

三国志の英雄、曹操(そうそう)には、13人の妻がいました。

その中でも、環(かん)夫人は、産んだ3人の息子がいずれも優秀という点で

光彩を放っている存在だと言えると思います。

 

3人の息子とは、曹沖(そうちゅう)、曹宇(そうう)、曹據(そうきょ)の事で

いずれも曹操の後継者候補だったり、皇帝の父になったり、魏の大将軍に

推挙されたりしています。

 

ところが、そんな華々しい経歴を持つ、息子達に比較して、

環夫人の逸話というのは、殆ど存在しないのです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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環夫人はどんな人だったの?

 

 

息子の曹據(そうきょ)の履歴から推測するに、環夫人は、

西暦180年頃に、徐州の彭(ほう)という土地に生まれたと思われます。

この場所は、現在の山東省南東部と江蘇省の長江以北に相当する地域にあたります。

 

さて、そんな彼女と曹操の馴れ染めは、記載されていないのですが、

彼女の息子である曹沖の生年とされる西暦196年から考えると

とても悲しいものであったのかも知れません。

 

曹操による徐州大虐殺

キレる曹操2

 

西暦193年、曹操は父の曹嵩(そうすう)が徐州の牧、陶謙に殺害された

報復として、以後二度に渡って徐州に侵攻し無差別殺戮を行いました。

いわゆる徐州大虐殺と呼ばれる事件です。

 

徐州牧の陶謙(とうけん)は、この怒涛の侵略に無力であり、結果として

数十万という徐州の人命が犠牲になります。

 

そのような中で環夫人の生家は、虐殺を免れる為に娘である

環夫人を曹操の側室として差し出したのではないか?と思われるのです。

 

当時の曹操は急速に拡大した勢力を維持する為に軍資金を必要としていました。

徐州の大虐殺の裏には、恩賞を与えられない部下への褒美として父の死を口実に

徐州に攻め込んだという背筋が寒くなる話も残されている程です。

 

ともあれ、徐州の名家であった、環夫人の実家の要請を曹操は受け入れ、

ここに環夫人は、曹操の13人の妻の一人になったという事ではないでしょうか?

 

しかし、そんな境遇でも、曹操の環夫人に対する愛は、

決して冷たい儀礼的なものでは、無かったようです。

 

環夫人に対する曹操の愛

環夫人

 

その証拠というのは、環夫人が産んだ息子達の(あざな)に現れています。

例えば、曹沖の字は倉舒(そうじょ)と言いましたが、

これは、中国伝説上の帝、黄帝の孫にあたる帝顓頊(ていせんぎょく)

の子供の八子の一人である倉舒から取られています。

 

そして、同じく曹宇の字の彭祖(ほうそ)は帝顓頊の玄孫の名前で、

こちらは、700歳を超えて生きた長寿の人物でした。

 

今風に言うと、キラキラネームのような過去の偉人の名前を

曹操は、環夫人の息子達にはつけたのです。

 

曹沖を愛した曹操

曹沖

 

さらに、環夫人の息子の曹沖は、少年時代から聡明な天才で、

しかも、優しい性格であったので、曹操に溺愛されていて、

一時期は、正妻の卞(べん)夫人の息子、曹丕を差し置いて

曹操の後継者と噂されている程の人物でした。

 

つまり、一時期は、環夫人は皇后の位に最も近い存在であった

と言う事になり、目には見えませんが正妻である卞夫人との

見えないせめぎあいもあった事でしょう。

 

ところが、曹操が最も期待を掛けた曹沖は、僅か13歳で

流行り病に罹り、呆気なく世を去ってしまいます。

 

曹操は、曹沖の生命を救おうとなりふり構わず、

普段は迷信に過ぎないと馬鹿にしていた拝み屋まで総動員して、

病気の快癒を祈ったと言われています。

 

あの合理主義者の曹操が、本当に藁にもすがる気持ちで、

神に息子の回復を願ったのです、切ないですね・・

 

 

環夫人はその後、どうなったの?

 

環夫人は、曹操の死後に、曹丕によって環太妃になっているようなので、

卞夫人とライバル関係にあったとはいえ、執念深い曹丕に恨まれるような、

甚だしい横暴な振る舞いは無かったようです。

 

環夫人の息子達は、皆、公平で温情に厚く、権力を積極的に奪うような

野心的な態度が見られないので、恐らく環夫人も、そのような

権力欲とは無縁な良妻賢母として人生を全うしたのでしょう。

 

 

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中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。当時はゲームセンターに通いつめました!まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。

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