三国間のパワーバランス
さて、そもそもとして魏、呉、蜀という三国のパワーバランスはほぼ同じスタート、という訳ではありません。国としての強さ、曹丕の時代で禅譲が行われたことでパワーバランスは魏に大きく傾いています。だからといって早々臣従なんかできる訳がない、そこで対抗するための策が天下三分、もしくは天下二分の計です。
しかし、呉は蜀を打ち破ってしまいました。蜀と言う国の国力を大きく減らしてくれた、とも言えるのです。そこで魏に臣従してくれればより良かったのでしょうが……。
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座して待つ
また三方面作戦で呉に止めを刺せなかったのも後々に影響してしまったとも言えますね。とは言え、既に蜀の国力は大きく減り、呉はこのまま行けば衰弱。関羽の北上から一転、魏は天下統一に向けての一歩を大きく踏み出したと言えます。
なので個人的に、魏がやや蚊帳の外になっている夷陵の戦いですが、何よりも魏にとって美味しい戦いとなった……と見ることもできると思います。夷陵の戦い、蜀と呉の戦いでこそありますが、一番旨味を味わったのは魏、ではないでしょうか?
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三国志ライター センのひとりごと
三国志、そして三国志演義では尚のこと、色んな意味で熱い夷陵の戦い。特に三国志演義では終盤で最も衝撃を受ける戦いではないでしょうか。しかしその実、利を最も得たのは結果的には魏。そう思うと……うーん、蜀と呉は夷陵の戦いで、どのような結果を求めるべきだったのか?それを考えだすととても難しく、そしてそれ以上に面白い。
何時になっても、三国志って面白いなあ。どぼーん。
参考文献:三国志魏書?済伝 蜀書関羽伝
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