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秦檜の背後に高宗がいた
さてこの岳飛の冤罪事件、果たして秦檜だけの考えでしょうか。確かに講和をしようとした秦檜からすれば岳飛は邪魔な存在であったでしょう。しかし民衆に絶大に人気があり、稀代の英雄であった岳飛を秦檜の独断で投獄、処刑にまで至ることができたでしょうか。筆者はこの背景に高宗がいたと考えています。
講和をしたいと考えている高宗からしても岳飛は邪魔でしょうし、ましてや人気がありました。実際に秦檜が亡くなった翌年に「講和は自分の意志だった」とし、秦檜が講和を行ったのは自分の指示であったと明かしています。なので全てが高宗の指示でないにしろ、岳飛の一件には高宗の意思も絡んでいたのではないかと思います。
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責任を秦檜に押し付けた高宗
尚、この高宗、秦檜が生きている間は「私は秦檜がいてくれて嬉しくて夜も眠れないよ!」と言っているのに、秦檜が死ぬと
「ずっと秦檜が嫌いだったんだ!暗殺しようと思って靴に暗器を仕込んでいたんだよ!」と言い出します。
当時としては金と講和をまとめたという後ろ盾があった秦檜を冷遇する訳にはいかなかった、という理由も考えられますが、それにしてもこの掌にモーター仕込みかとも思える回転っぷり。
このため個人的には、高宗は岳飛に対して御しきれない(から処分したい)という思いがあり、この一件を全部秦檜のせいにしてしまった……霊帝同じく、佞臣の陰に皇帝の存在があった、と感じるのですが、どうでしょうかね?
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三国志ライター センのひとりごと
皇帝とて人間です、しかし皇帝は並大抵の人物ではなりきれず、結果として国の腐敗、衰退を招きます。その陰にはやはり佞臣が幾人も生まれると思いますが、同時にその佞臣の方が目立つと非難がそちらに向き、皇帝自身はそこまで非難されないように思います。
「歴史の陰に女アリ」と言いますが、同じく「佞臣の陰に皇帝アリ」とも言えるのではないか、というのが筆者の考察でありました。
どぼん!
参考文献:宋史 秦檜伝 高宗紀
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