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息子は呉に亡命。娘は東晋皇帝の祖母となる諸葛誕
さて諸葛誕の息子は呉に送られて在命で、後に晋の呉が滅ぼされた後は呉への恩から背を向けて生涯を過ごしたと言われますが、諸葛誕には娘がいました。
この娘の一人が、司馬懿の息子、司馬チュウに嫁いでおり、彼女は罪に問われませんでした。更に続くことには、なんと彼女の孫が東晋の初代皇帝となり、その血筋は暫く皇族として続いていくこととなるのです。
東晋は最終的にこそ滅びますが、その血筋が皇族とまでなったとなると実は諸葛誕、ある種、諸葛一族で一番勝ち組?となるのではないでしょうか?どうかな?
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諸葛氏の誇りを守ったもう1人の娘
最後にちょっとこぼれ話を。諸葛誕にはもう一人娘がおり、王リョウの息子、王広に嫁いだと言います。二人は結婚するまで顔を合わせたことがなく、夫婦の寝室に入って二人は初めてお互いの顔を見ました。
そこで夫・王広は妻に言いました。
「諸葛誕殿に全然似てないじゃないか!」
とんでもない第一声ですが、美形で知られる夏侯玄と仲が良かったから諸葛誕も顔立ちが良かったのかもしれません(根拠は0)。その父親に容貌が似ていないということでガッカリ!ということでしょうが、しかし諸葛の娘はここで怯まなかった。
「貴方こそ父君に及びもしないのに、どうして私を英雄と比べられるのですか?」
お父さんを「英雄」と言った娘さんカッコいい!
まあ世説新語の一説ですが、ここで怯まない娘さんは間違いなく諸葛一族、ということでご紹介させて頂きました。
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三国志ライター センのひとりごと
時に勝者がいれば、時に敗者がいて。人生万事塞翁が馬とも言いますし、栄華も極めれば転落しかないかもしれない。ここで後年の私たちが歴史を見て勝者だ敗者だというのは何ともおかしな話かもしれませんが、それもまた歴史という面白さの一部。今日も筆者は元気に沼に飛び込みます。
どぼーん!
参考文献:魏書諸葛誕伝 呉書諸葛瑾伝 蜀書諸葛亮伝 世説新語
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