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三国志は、漢の時代の末期から、三国時代へと激動の時代とも言えます。黄巾の乱が起きたように、漢王室の権威は最早なく、民衆は、それどころか多くの三国志の武将たちは、この時代を生き抜くために奮戦しました。
しかしこの時代、生きるのには才覚だけでは駄目でした。
そう、哀しいかなこの時代において、才覚と家柄、もっと言ってしまうと財力も天下に羽ばたくために不可欠な要素なので、貧乏であるということはそれだけで他者に大きなアドバンテージを付けられたのです。
そこで今回聞いてみたいのは「貧乏武将と言えば?」
とっても苦労していそうな武将、いったい誰が選ばれるかな?
徐庶
さて徐庶にはコメントはありませんでしたが、徐庶の生まれは中々に厳しいものでした。徐庶は実はそれほど過去に何をどうしていたか詳しく残っていないのですが、それは徐庶が単家だったからだと言われています。
単家というのは、一族縁者に郭の高い者がいない一族、ということで、実は生粋の庶民であり、かなり貧乏であったそうです。それでも徐庶個人の能力は諸葛亮も認めているほどで、後に魏に行った徐庶の位を聞いて「あいつでもその位までだなんて、魏にはどれだけ人材がいるんだ」と嘆いたと言います。
どちらかと言うと徐庶は貧乏で苦労した、というよりは、三国志演義の影響で君主関係で振り回されてしまった、という印象の方が強いかもしれませんね。
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鄧艾
お次は鄧艾です。鄧艾もまた、蜀戦などでの活躍が注目される武将ですが、実は彼もまた貧乏でした。その昔、鄧艾が都尉学士となった時ですが、生来の吃音のために周囲から疎ましがられていました。
このために中々出世することができずにいたのです。
鄧艾はこのハンデを背負いながらも必死に頑張り、出世していくのですが……この際に、同じ役人の方のお父さんが、余りに家が貧しいことに同情して援助をした、と記録されています。
何気に鄧艾はこれにお礼を言わず、しかしその後汝南太守となると、亡くなっていたその役人の父を祭り、その役人の母に贈り物をして、その役人の子を計吏に推挙するなど、言葉にはしなかったものの感謝はしていたことが分かりますね。
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呂蒙
「呂蒙は、陸遜から貧乏臭いと言われてキレていた」
引用元:はじめての三国志TV
呂蒙は15歳の時、義兄(姉の夫)である鄧当の山賊討伐にこっそりと付いて行きました。これに気付いた鄧当は叱ったがその場で帰すことはなく、戻ってから呂蒙の母にそのことを伝えました。
驚いた母親はどうしてそんなことをしたのかと激怒、しかし呂蒙は「貧しさから抜け出すには、危険を冒してでも功績を立てねばなりません」と言ったので、母親は息子を哀れんで何も言い返せなかったと言います。
恐らく嘗て呂蒙が学が無かったのも、貧乏であったためでしょう。そう思うとそこから武勇だけでなく知略も収めた呂蒙は正に努力家、これには魯粛もびっくりですね。
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劉備
「配下に給金さえ出すのも厳しかった劉備に」
「草鞋売りが二つ名の玄徳ほど貧乏が似合う男はいない」
「劉備サンに一票!最初の頃から中盤くらい迄、お金に限らず苦労したイメージがあるなぁ」
引用元:はじめての三国志TV
今回のアンケートで、コメントが多く見受けられたのはやはりというか、劉備でした。劉備の父親は州郡の官吏だったそうですが、幼い頃に亡くなったために家が貧しくなってしまったそうです。
また劉備は治める土地を得るまでが長かったこともあり、そういう意味では貧しかったとも言えるでしょう。しかしその劉備が荊州を取り、蜀の地を取り、そうして漢中王にまで登り詰めて皇帝となった。
これは三国志のサクセスストーリーの一つ、と言えるかもしれません。
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その他にも……
今回は他にも色々な武将の名前が挙げられていましたが、敢えてこちらのコメントをご紹介したいと思います。。
「ここに挙げられた武将達は、みんな最初こそ苦労したものの、出世していい暮らしをできているのであえてその他で」
引用元:はじめての三国志TV
三国志の時代、前述したように家が貧乏であることはそれだけで生きていくのに不利でした。そんな中で必死で努力し、相応の地位を得て、言ってみれば出世したの人物たちの一人が彼らでしょう。
もしかしたら努力も報われぬまま、そのまま歴史に残ることもなく消えた人物も多くいたかもしれません。そう思うと、何だかちょっとやるせない気になりますね。
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三国志ライター センのつぶやき
最後に今回気になったのはこちら。
「何かいただろ?若い頃食べる物にすら困っていたって苦労話したら曹丕に大爆笑された魏のマイナー武将。名前忘れたけど」
引用元:はじめての三国志TV
もしかしたら王忠のことかな?
王忠が嘗て飢えから人肉を食べたことがあって、それを知った曹丕が墓場からわざわざ(わざわざ)髑髏を持ってこさせて王忠の鞍に付けて笑い話にしたというお話ですね。何とも曹丕の性格のいやらしさが出ている話、于禁と合わせてちょっとどうなのその性根という話です。
王忠に限らず、戦乱の世。生きていくことすら難しかった時代。もしかしたら貧することさえなければ、もっとたくさんの英雄が生まれたのではないかと思うと……なんだかちょっぴり、苦々しい気持ちになりますね。ちゃぽーん。
引用元:はじめての三国志TV
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