農民に感謝された曹操による税制上の措置とは?


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薄い五銖銭を作らせる董卓

 

後漢末、董卓の貨幣改鋳の失敗で五銖銭は鉄屑になり貨幣経済が崩壊、三国志の時代には、布帛や穀物が貨幣として流通するようになります。曹操も、納税を不足していた銭ではなく農作物の物納に切り替えましたがここにはどんな意味があったのでしょうか?

 

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

曹操の措置は一見面倒臭そうですが、農民には歓迎されました。それは何故でしょうか?

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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収穫時期が原因で市場原理が下落してしまう

村人(農民)

 

貨幣経済が崩壊する前、農民は税金を銭で納めていました。しかし収穫した農作物をお金に換えるには市場で売りさばく必要があります。ところが収穫期はどこでも同じなので、この時期には市場に農作物が殺到し市場原理で価格が下落してしまうのです。

 

 

農作物を安い値段が買い叩かれた農民

劉邦時代の農民

 

本当なら安い時には売らずに高くなってから売りたいのですが、徴税役人にせっつかれて、冬の備えが必要な貧しい農民は泣く泣く安い価格で農作物を買いたたかれていました。

 

三国志ライフ

 

 

曹操による税制上の措置

曹操

 

一方で曹操は納税を物納にしたのですが、物納なら単純に収穫物の重さなので、物価の上下は関係ありません農民は市場に影響されず、毎年一定の農作物を納めればいいので暮らしが立てやすくなったのです。

 

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三国志とお金の話

 

 

国家にとっては不便だった物納事情

荀彧

 

農民にとっては有難い物納ですが、国家にとっては不便でした。毎年作物が実ってみないと国家の歳入が分からないからです。銭納なら、例えば300銭と決めれば、作物の値段が高かろうが安かろうが農民が損しても得しても毎年300銭を用意して納めます。

 

kawauso編集長と村人(農民)

 

だから、農民の頭数を把握すれば毎年の歳入がちゃんとわかるので予算が組みやすいのです。こんなわけなので、天下が統一されると貨幣経済が整備され、納税は再び銭納へと回帰していくのでした。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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