三国志の時代の鎧は、魚鱗甲とよばれる薄い鉄板をつなぎ合わせたものでしたが非常に軽いのが特徴でした。
魚鱗甲は軽いが故に食パンのような防御力
軽いために防御力もそこまで期待できず、多くの武将は魚鱗甲の上に戦袍と呼ばれる衣服を着て防御力を高めていました。三国志魏志典韋伝には、典韋と決死隊が盾を捨て鎧を二両着こんだという記述が出てきます。
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持ち運びにも長けていた鎧
また、当時の鎧は丸めて持ち運べたとも書かれていて、前線で剣を奮う事がない軍師のような人々も衣服の下に羽織っていたようです。今で言うと防弾チョッキの感覚なのが当時の鎧なのですね。
参考文献:正史三国志 典韋伝
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