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とても軽くて持ち運びに長けていた三国志の時代の鎧

2022年10月12日


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藤甲軍(南蛮兵士)

 

三国志の時代の鎧は、魚鱗甲とよばれる薄い鉄板をつなぎ合わせたものでしたが非常に軽いのが特徴でした。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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魚鱗甲は軽いが故に食パンのような防御力

曹操を守るボディーガード典韋

軽いために防御力もそこまで期待できず、多くの武将は魚鱗甲の上に戦袍と呼ばれる衣服を着て防御力を高めていました。三国志魏志典韋伝には、典韋と決死隊が盾を捨て鎧を二両着こんだという記述が出てきます。

 

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持ち運びにも長けていた鎧

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また、当時の鎧は丸めて持ち運べたとも書かれていて、前線で剣を奮う事がない軍師のような人々も衣服の下に羽織っていたようです。今で言うと防弾チョッキの感覚なのが当時の鎧なのですね。

 

参考文献:正史三国志 典韋伝

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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