三国志の英雄、曹操。魏・呉・蜀の三国の中で事実上トップの国力をもっていた魏を一代で興した英傑です。
赤壁の戦いで足止めを食わなければ、『三国志』はそのまま曹操が天下を取って終わりになっていたかもしれないという程、中国統一にあと一歩の「王手」まで迫った人物でした。
ところがその後の民間伝承や、それをもとにした『三国志演義』では、曹操は劉備のキャラクターを引き立てるための「悪役」として描かれるのが一般的になってしまいます。
そうした場での描かれ方は、曹操は優れた英雄だったが、同時に残虐かつ冷酷な恐ろしい独裁者、といったところでしょうか。近年、曹操のこうした描かれ方には修正がなされてきてもいます。
むしろ曹操を主役にして三国時代を描こうとするマンガや小説が登場しているくらいです。曹操を正当に評価しようとするこれらの「新しい」描き方に共通するのは、彼は天才的な指導者でありながら、人間らしい苦悩も抱えている人物だった、というところでしょうか。
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本当の曹操は天才肌ではなくて研究熱心な秀才タイプだった?
ですが、こうした「再評価」もまた、曹操を一種の「天才」として描いているところでは変わりません。人の気持ちがわからない冷酷な天才か、それとも、人の気持ちがわかっている「苦悩する」天才なのか。その違いにすぎない、というところでしょうか。
そういう「天才肌曹操」の伝統からすると、いささか意外かもしれない、彼の一側面があります。それは現代ビジネスマンにとっても人気の古典、『孫子の兵法書』を巡る問題です。
実は曹操はこの孫子を含めて、たいへんな「兵学書」マニアだったようなのです。あの戦略眼も、あの指揮官としての能力も、若い頃からの読書研鑽の上に獲得した、努力の賜物だったとしたら?
この話、もう少し詳しく、見ていきましょう!
意外な経歴!並みの読書家には書けない本格的な「孫子研究本」を曹操が執筆していた!
孫子という人物は、三国志の時代よりもさらに古代の人物です。その正体はよくわかっていない上に、彼が書いたという有名な「兵法書」も、オリジナルのものはもはや残っていません。
現代のビジネスマンが「必携の書」などと賛美している『孫子の兵法書』はどこから伝わったかというと、中国の歴代の様々な研究社たちが、孫子の兵法書の注釈(つまり「研究本」)を書いてきたものを基に、再現されているのです。
そして中国の歴史の中で、「孫子の兵法書の研究本を書いた」名著作家とされている人々の中に、必ず入ってくるのが、曹操なのです。しかも、曹操が書いた『孫子の研究本』(『魏武注本』と呼ばれます)は、中国史上に数ある孫子の研究本の中でも、最古のものと数えられているのですから。
現代の我々が孫子の兵法書のオリジナルを知りたいとなったとき、もっともオリジナルに近いものと信頼できる「最古の研究本」は、なんと曹操の書いたものになるのです!
ただの趣味的研究ではなかった?自信がみなぎる曹操の「序文」
この『孫子の研究本』は、序文に書かれていることが、そもそも注目に値します。
「私(曹操)は、古今のたくさんの兵法書を読んできた。そして私自身も実戦を指揮してきたが、結論として、孫子の兵法書がもっとも優れている」と曹操自身が書いているのです。
現代で言えば、世界で最高レベルの実績を持つ大企業の創業者が、「いろんなビジネス理論を読んでみたが、私のオススメはこれだ」と言っているようなもの。
そのうえで曹操は言います。
「孫子の兵法書の研究本はたくさん書かれてきたし、私もそれらを読んできたが、どれも細かいコトバや概念の説明ばかりで、実践的なものがない。そこで今回は、私自身が、孫子の兵法書の研究本を書いてみることにした」
これは見過ごせない発言ではないでしょうか。
「たくさん出ている研究本の類を自分はひととおり目を通している」
「満足できないので、自分で決定版を書くことにした」
さきほどの例で言えば、大企業の社長が、
「最近出ているビジネス書は、ひととおり読んでいるが、満足できるものがないので、私も自分でビジネス理論の本を書いてみることにした」と言っているようなものです。
どこにそんな時間が!
ましてここで書いたものが、孫子の兵法書の名注釈として現代まで讃えられているわけですから、ただの趣味ではなく、学者の仕事としてじゅうぶんに評価されるレベルだったことがわかります。
まとめ:曹操が「苦学の人」であったと想像してみる
いつ時間を作っていたのでしょうか?
見えてくるのは、普段は天下統一事業に向けての激務に明け暮れながら、夜は古今の兵法書の比較研究と、自らの理論書の執筆に勤しむ、「蛍の光・窓の雪」を地で行くような、勉強熱心な書斎人としての曹操像です。
三国志ライターYASHIROの独り言
そういえば世の中には、「自分は何も努力していない」ように見せかけていて、実は夜遅くに人一倍の勉強をしている人というのがたまにいますが、曹操もそんなタイプだったのでは?
部下たちが寝静まった後に一人、熱心に兵学の研究をしていた、「隠れて努力する人」だったのかもしれません。独裁者とか、奸雄とか、そういった見かけの人生とは別の、「人一倍の努力家」としての曹操。もし曹操を再評価するなら、次はこの、苦学者としての彼の一面に、ぜひ迫ってほしい、と思うのでした。
と、思ってはみたものの、それはさすがに地味すぎてマンガや小説に描くのは難しいでしょうか?
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