諸葛亮の南蛮討伐に対抗するため、孟獲が放った族長のひとり「董荼那」。董荼那は三国志演義に登場する人物です。
董荼那は戦いを通じて、諸葛亮軍と孟獲軍の板挟みに遭います。それは企業の中間管理職のような苦しみでした。ここでは董荼那の優柔不断な人生を孟獲とともに追っていきます。
仲間といやいや出兵する董荼那
諸葛亮の南蛮討伐というとボスは孟獲という印象を受けます。しかし、南蛮は現在の中国・雲南省やミャンマー付近の総称。
現地の人から言わせれば、南蛮などと十把一絡げにされては、たまったものではありません。その証拠に孟獲兄弟とは別に董荼那を含む五溪洞人が登場します。五溪洞は3つの地区に分割統治され、その第二洞の地区を担当していたのが董荼那でした。
近くに住む孟獲兄弟は彼らを仲間に引き入れ、諸葛亮討伐に向かわせます。しかし、それほど乗り気でなかった董荼那の三人。勝利した者には五溪洞すべてを統治する権限を与えると言った孟獲の言葉を受け、出陣します。
敵からお説教をくらう董荼那
しぶしぶ戦地へと向かう董荼那隊ですが、諸葛亮軍は予想以上に手強く、リーダー格の金環三結が殺されたことから、あっさり捕まってしまいます。
そして、諸葛亮は七縦七擒プロジェクトに従い、董荼那と阿会喃を解放します。
首を垂れて本陣へと戻ってきた董荼那らは、孟獲兄弟にけしかけられ、再び出兵。補給路を絶っていた馬岱をやっつけるよう命令されます。
ところが、馬岱は馬超の秘書としても働いていた頭が切れる人物。諸葛亮が恩情でもって解放してやったのに、もう一度攻めてくるとは、なんと薄情な輩だとののしられます。
こうして董荼那の心に天使の心が芽生えます。
それは同じ村の阿会喃も同じでした。
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ボスの孟獲を100回も叩く董荼那
敵に諭された董荼那と阿会喃。本陣に戻ると孟獲兄弟こそ奸賊であるとして、血眼でボスを探します。すると彼らは見つけるや否やこん棒で100回も叩き、民族の恨みとばかりに徹底的にこらしめると縄でしばって、そのまま諸葛亮の元へ送りつけるのです。
孟獲は村を一つ潰した!?
さて、諸葛亮の南蛮討伐の策は相手の心を揺り動かして、服従させるという七縦七擒です。縄で縛られた諸葛亮が取った行動は孟獲の縄をそっとほどいてやり、村へ帰してやることでした。
自分だけでなく、ボスの孟獲まで解放されるとは予想だになかった董荼那。内心、焦ったことでしょう。自分たちの村に帰ってくるわけですから、逃げるに逃げられません。諸葛亮の元へ行って、寝返ったとなれば再び馬岱にののしられ、民族としての誇りを失います。
ほどなく手に斧を持って、鬼の形相で董荼那と阿会喃に襲いかかる孟獲。彼ら二人だけでなく、村中の人を皆殺しにします。
金環三結は最初の討伐で趙雲の手で命を落としていますから、孟獲はたった一人で五溪洞の村ひとつを壊滅させたことになります。
村長がだらしないと住民まで命を奪われる世界。これは現代日本にも通じています。超高齢化社会で過疎化した村では運営が成り立ちません。村長が移住政策などの措置を講じなければ、村として機能しなくなります。
孟獲のように戦車に乗って県知事が攻撃をしてくることはありませんが、条例によって合併させられたり、移住を余儀なくされる可能性は大いにあります。そのためにも董荼那のような人物ではなく、諸葛亮のように先見性があり、頭が切れるトップのいる町に住むべきでしょう。
三国志ライター上海くじらの独り言
董荼那は孟獲によって殺されますが、それは諸葛亮の指示によるものでした。
これは統治のもっとも効率的な方法で地元の人間同士をいがみ合う状態にさせ、現地の住民どうしで戦わせるというストラテジーです。
その諸葛亮の真意を見抜けなかった董荼那は、諸葛亮に解放された時点で蜀に寝返るか、はるか遠くの町へと逃亡するべきでした。二回目に攻めてきた董荼那を説得しようとした馬岱の気持ちが手に取るようにわかります。
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