張苞とはどんな人?張飛の武勇を受け継ぐジュニア武将は雑劇から誕生したってホント

2022年5月20日


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関興と張苞

 

三国志演義では張飛の死後、その武勇を受け継ぐ存在として張苞(ちょうほう)が登場し活躍します。この張苞、実在はしているのですが、史実では張飛よりも先に病死していて、おまけに武勇の人ではありません。

 

では、そんな張苞はいつから張飛の武勇を継ぐ存在として大活躍するようになったのでしょうか?

 

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志演義の張苞

劉備とともに呉を攻めまくる馮習

 

三国志演義の張苞は関羽の息子の関興と共に、夷陵(いりょう)の戦いの直前に登場します。この時、劉備は呉の裏切りで関羽を失い、弔い合戦の途中で張飛を失い失意の中にいました。

 

父・関羽とともに亡くなる関平

 

張苞と関興は、この寂しいムードを払拭せんとばかりに彗星の如く登場。最初は先陣を争って喧嘩しますが劉備が間に入って仲裁し、2人は義兄弟の契りを結び、張苞は関羽の義兄となりました。

 

張飛のパワハラに怯える張達と范彊

 

その後、張苞は父、張飛の寝首をかいて呉に落ち延びた張達と范彊を殺して父の仇を討ち、関興も父、関羽を討った潘璋を殺して父の形見の青龍偃月刀を取り戻します。

 

青龍偃月刀を持つ関羽

 

張苞と関興は、その後、諸葛亮の北伐にも参加しますが張苞は、第二次北伐の際に谷に落ちて負傷し傷が元で病死。関興も第三次北伐の前に病死しました。鳴り物入りで登場した割には、張苞の登場期間は短く設定されています。

 

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三国志平話には登場しない張苞

三国志平話

 

このように三国志演義には登場する張苞ですが、三国志演義以前に存在した全相平話三国志(ぜんそうへいわさんごくし)には、登場しません。

 

周倉

 

関平や関索、周倉というキャラクターは三国志平話にも登場するのですが、張苞は出てきませんし、ついでに言うと関興も出てきません。つまり、三国志演義の前段階の三国志平話では関羽と張飛のジュニア武将は影も形もないのです。

 

では、張苞はどこから三国志に出現するのでしょうか?

 

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元の時代に登場した雑劇「寿亭侯怒斬関平」

京劇の関羽

 

関興や張苞のようなジュニア武将は読物ではなく、演劇の中で生まれたようです。例えば、元の時代に演じられた雑劇「寿亭侯怒斬関平(じゅていこうど・ざんかんぺい)」には、張苞や関興のみならず、趙雲や馬超、黄忠のジュニアまで登場します。

 

一体、「寿亭侯怒斬関平」とは、どんな物語なのでしょうか?

 

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寿亭侯怒斬関平あらすじ

関平

 

では張苞や関興ばかりか趙雲や馬超、黄忠のジュニアまで登場する「寿亭侯怒斬関平」のあらすじを説明しましょう。

 

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ある日、関羽の息子関平が馬を走らせていて子供をはねて死なせてしまいます。しかし関平は子供を手当するどころか、急いでいるからとひき逃げしてしまいました。息子を関平に殺された父親は納得できずに関羽に訴え事実は関羽の知る所になります。

 

激怒する関羽

 

義の人関羽は関平が子供をひき逃げして逃げた事が許せず、関平を呼び出し首を斬ると宣言しました。

 

その事を知って驚いたのが五虎将軍のジュニアたちです。すなわち、張飛の子の張苞、関羽の子である関興、馬超の子、馬忠、趙雲の子、趙冲(ちょうちゅう)、黄忠の子黄越(こうえつ)の5人がこのままでは関平が殺されると、父である五虎将軍に知らせました。

 

五虎大将軍b 関羽、張飛、馬超、趙雲、黄忠

 

それを聞いて張飛趙雲、馬超、黄忠も大いにい驚きます。もちろん関羽に頼んで止めようとなったのですが、強情な関羽が言う事を聞かない可能性もあるので趙雲が策を思いつきます。

 

新解釈・三國志 自分はモテると報告をする趙雲

 

さて、五虎将軍は関羽の下に飛んでいき、関平を斬るのは待ってくれないかと頼み込みますが強情な関羽は聞きません。

 

そこで張飛は啖呵(たんか)を切り

「俺達五虎将軍の息子達は、俺達三兄弟のように義兄弟の誓いを立てている。兄者が関平を斬るのなら、息子達も生きてはいまいから俺は息子の張苞を斬るぞ!」

 

殿を務める張飛

 

関羽もさすがに慌てます。

「これは、私と息子の間の問題であり、お前達は関係がない」と止めさせようとしますが、「兄者が止めないなら俺もやめん」と張飛。

大声を出す張飛

 

さらに張飛は「関平が息子を殺したと訴えてきたのは一体誰だ、出てこい」と怒鳴り、息子の父親が名乗り出ると「関平を許さないと貴様を殺す」と凄みます。張飛に脅された父親は訴えを取り下げ、関羽も関平を許しました。

 

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関帝廟

 

 

三国志演義は雑劇を取り込んだ

京劇コスチューム趙雲

 

「寿亭侯怒斬関平」は作者も不明で史実を無視した荒唐無稽な内容です。どうも決まった脚本家ではなく、雑劇の役者が作ったのではないかと考えられています。

 

しかし、雑劇はエンターティメントですから面白い事が最優先で、五虎将軍それぞれに息子がいて、関平がひき逃げ犯になっても面白ければ無問題(もーまんたい)なのです。

 

こうして残っていた雑劇を三国志演義は取り込み、五虎将軍全員の息子とはいきませんが、張苞と関興の2名は採用されたという事なのでしょう。

 

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三国志ライフ

 

 

三国志ライターkawausoの独り言

kawauso 三国志

 

今回はジュニア武将、張苞がいつから登場したかについて元代の雑劇「寿亭侯怒斬関平」を紹介してみました。三国志演義では失われた関羽と張飛を一時埋め合わせる形で登場する張苞と関興ですが、どうせ虚構なら趙雲の息子、趙冲や馬超の息子馬忠、黄忠の息子、黄越も出したらよかったのにと思いました。

 

例えば黄忠は子供に先立たれて寂しいので、黄越という息子が出てくれれば微笑ましい親子劇になりそうですけどね…

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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