蜀の初代皇帝として三国志の中でも有名な人物として知られる劉備。そして涼州の軍閥として曹操と戦い続け、その後劉備の配下として加わった馬超。馬超は蜀の武将の中でも新人であったにもかかわらず劉備へタメ口で話しかけていた驚くべき常識知らずの人物であったのです。
劉備の元へ降伏する
馬超は涼州で曹操と激戦を繰り広げていましたが、ボロボロに敗北し、漢中を支配していた張魯の元へ逃げ込みます。張魯は馬超が逃げ込んできた当時、劉璋を険悪な関係にあり、馬超へ劉璋を討伐してこいとの命令を下します。
馬超は張魯の命令を聞いて劉璋を討伐するべく軍勢を出陣。
この時馬超の元へ劉備から
「自分の配下に加わってくれないか」
と使者を派遣します。
馬超は劉備から派遣された使者へ
「承知しました。今後は張魯の元を離れて劉備殿に付き従うことにします。」
と返答。
こうして馬超は劉備の配下として加わることになります。
馬超を厚遇する劉備
劉備は馬超が配下に加わった時大喜びします。
劉備が喜んだエピソードが残っています。
劉備は馬超が自らの配下に加わることを知って側近へ
「これでようやく益州を手に入れることができる」
と言ったそうです。
実際馬超が劉備の配下に加わった後、
10日ほどで劉備に抵抗していた劉璋は降伏することになるのです。
劉備は馬超が配下に加わったことで大喜びし、
馬超を厚遇するのでした。
字で呼ぶことを許す
馬超は劉璋が降伏し、
益州全域を手に入れることに成功した劉備から大いに厚遇されることになります。
馬超は自分が劉備から厚遇されている実情を知って
劉備のことを「玄徳」と呼んで馴れ馴れしくしていたそうです。
劉備も別に馬超から「玄徳」と呼ばれて嫌な気分にならず、
そのまま馬超の好きなように呼ばせていました。
しかしここで馬超が馴れ馴れしく
劉備のことを「玄徳」と呼んでいることに激怒した人物がいました。
関羽と張飛が激怒
劉備の事を玄徳と言っている様子を聞いてめちゃくちゃ激怒します。
そして関羽は劉備へ
「玄徳と呼んで兄貴のことをなめている馬超をたたき殺してやりたい」
と願い出ます。
すると劉備は
「雲長。馬超は我らのところに困って逃げてきたのだ。
だから馬超が私のことを字で読んだからと言って、
そのように激怒するのはよくない。
そのようなことで激怒していれば、
天下の人心を獲ることなんてとうていできはしないぞ」
と怒られてしまいます。
関羽は劉備から怒られるとシュンとしてしまいます。
そこで張飛が
「わかりました。兄者。馬超を殺すのはやめましょう。
しかし彼に礼儀というものを叩き込んでやりますよ」
と言って劉備の了解を得ることに成功。
さて張飛はどのような形で馬超に礼儀を教えるのでしょうか。
馬超へ礼儀を叩き込む張飛と関羽
劉備はある日群臣を集めて大きな会議を行います。
馬超もこの会議へ参加するべく会議場へ出席。
この席で馬超は関羽と張飛がいないことを不思議に思いながら席へ着きます。
その後劉備が壇上の上から登場しますが、
この時関羽と張飛が劉備の側へ得意の武器を持って登場。
そして壇上から張飛と関羽の二人が馬超をにらみつけるのでした。
馬超は二人の姿にビビってしまい、
この会議以降劉備を「玄徳」と呼ぶことはありませんでした。
三国志ライター黒田レンの独り言
今回ここに登場したお話は
「正史三国志」に登場する物語に記載されている
「山陽公載記」と呼ばれる書物に記載してある物語です。
三国志は正史三国志だけで物語が構成されているわけではなく
色々な書物から構成されています。
三国志は色々な角度から見るとより楽しく見ることができるので
よろしければ皆様もご覧になってはいかがでしょうか。
参考 【山陽公載記・正史三国志蜀書】など
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