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[衝撃の事実]三国志の美女、両さん風一本眉!?

2023年12月19日


 

貂蝉

貂蝉(ちょうせん)

 

女性について語られる際にはいつの時代もその美しさが話題になります。『三国志』にも美しいということで語り継がれる美女たちはたくさんいますよね。貂蝉(ちょうせん)大喬(だいきょう)小喬(しょうきょう)姉妹、甄夫人(しんふじん)などなど…。彼女たちの美しさに思いを馳せつつ、ふとした瞬間にこんなことを考えてしまうという人もいるのではないでしょうか。「でも、昔の美人って今の美人とは全然違うのでは…。」

 

たしかに、平安時代や江戸時代の美人画を見ても「美人だな」と思う人は少ないでしょう。オカメ顔もうりざね顔も現代の人々にとって美の基準とはなり得ませんよね…。やっぱり『三国志』に出てくる美人もその例に漏れずそんなに美しくなかったのでしょうか…?今回は三国時代の美女の基準について解き明かしていきたいと思います。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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曹植が詠った美女

曹植が詠った美女

 

三国時代の美女について知るにはその当時の詩文を学ぶのが近道でしょう。というわけで、七歩の才を持つと評されている曹植(そうしょく)の「美女篇」を読んでみましょう。

 

美女妖且閑 美女妖にして且つ閑なり

採桑岐路間 桑を岐路の間に採る

柔條紛冉冉 柔條紛として冉冉(ぜんぜん)たり

落葉何翩翩 落葉何ぞ翩翩(へんぺん)たる

攘袖見素手 袖を(はら)いて素手を(あらわ)せば

皓腕約金環 皓腕(こうわん)金環を約す

頭上金爵釵 頭上には金爵の(さい)

腰佩翠琅干 腰には()翠琅干(すいろうかん)

明珠交玉体 明珠玉体に交わり

珊瑚間木難 珊瑚木難に(まじ)わる

羅衣何飄飄 羅衣何ぞ飄飄たる

軽裾髄風還 軽裾(けいきょ)風に(したが)いて還る

顧盼遺光彩 顧盼(こへん)は光彩を遺し

長嘯気若蘭 長嘯すれば気は蘭のごとし

行徒用息駕 行徒は(もっ)て駕を(やす)

休者以忘餐 休者は以て餐を忘る

 

 

美女はなまめかしくしとやかだ。桑の実を分かれ道で採っている。柔らかい枝が入り乱れて広がっている。その袖をはらって白い手をあらわにすれば、やはり白い腕には金の腕輪が結ばれている。頭の上には金のかんざし。腰には翡翠(ひすい)の帯の玉。光り輝く宝石は玉のように美しい体にまとわり、珊瑚(さんご)は真珠にまじわる。薄絹はなんと美しく舞うことだろう。軽い裾は風にしたがって翻る。振り返る美しい目元は光を残し、歌を歌えば蘭のような香りが漂う。行く人は車を止めて見とれてしまい、休む人は食事をも忘れてしまう。

 

 

 

色が白くてしなやかなことが美しさの条件

大喬

 

「素手」や「皓腕」という言葉が見えることから曹植は色が白いということを美の条件と考えていたようですね。その当時は顔におしろいを塗ることが化粧の基本でしたが、体もおしろいを塗った顔に負けないくらい白いことが尊ばれたのでしょう。また、曹植が「腰」に注目しているという点も注目すべきポイントです。腰というのはくびれていないと注目されることの無い部位ですよね。

 

そのため、曹植が詠った美女は腰が美しくくびれていたということが考えられます。そして、腰がくびれているということは腰のあたりが細かったという証拠。このことから類推するに、その当時の美女の体型はわりとスレンダーであったということが考えられます。また、曹植は美女の体全体のことを「玉体」という言葉で表現していますが、これは丸い体という意味ではなく、やはり宝石のように張りが合って滑らかな体のこと。

 

色が白いということもスレンダーであるということも現代の美女の条件として挙げられるものですよね。その他、曹植は流し目の美しさや良い香りがするということを上げていますが、これも現代の美女に当てはまる特徴と言えるでしょう。三国時代の美女は現代の美女とそれほど変わらない容姿をしていたのかもしれませんね。

 

 

曹操が一本眉を流行らせた!?

 

「三国時代の美女はやっぱり美女なんだ~」と胸をなでおろした人も多いでしょう。ところが、彼女たちはもしかしたらこち亀の両津勘吉(りょうつかんきち)のような一本眉をしていたのかもしれないそうです…。なんと、曹植のパパ・曹操(そうそう)魏の女性たちに眉墨で左右の眉をつなげるように命令していたのだとか。もしかしたら曹植が歌い上げた美女の眉毛も立派な一本眉をお持ちだったのかもしれません…。

 

 

三国志ライターchopsticksの独り言

三国志ライター chopsticks

 

一本眉にしていたのは魏の女性たちだけだとは思いますが、曹植が歌い上げた美しい美女も一本眉だったのかもしれないと思うと何だか残念な気持ちになってしまいますね。

 

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清朝考証学を勉強中。 銭大昕の史学考証が専門。 片田舎で隠者さながらの晴耕雨読の日々を満喫中。 好きな歴史人物: 諸葛亮、陶淵明、銭大昕 何か一言: 皆さんのお役に立てるような情報を発信できればと思っています。 どうぞよろしくお願いいたします。

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