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[遺跡の秘密]曹休の墓の発見とDNA鑑定できなかった理由とは?

2024年1月23日


曹休

 

 

曹休(そうきゅう)()(220年~265年)の将軍です。『三国志(さんごくし)』には曹操(そうそう)の「族子」と記載されています。諸橋轍次編(もろはし てつじへん)大漢和辞典(だいかんわじてん)』で調べると、「族子」とは、(1)親類の子、同族の子 (2)兄弟の子となっています。おそらく、1番近くて曹操の「甥」と思われます。さて、この曹休は近年になって墓が発掘されました。これには筆者もびっくりしました。そこで今回は発掘された曹休の墓に関して解説いたします。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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工事中に曹休の墓を発見

曹休

 

 

『三国志』によると曹休は魏の太和2年に呉(222年~280年)と石亭(せきてい)で戦って敗北して、その精神的ショックから亡くなっています。ただし、どこに葬られたのかについては『三国志』には何も記載されていません。

 

やがて時は流れて日本の平成21年(2009年)のことです。中華人民共和国の河南省(かなんしょう
)
洛陽市(らくよう)邙山(ぼうざん)にて高速道路の拡張工事中に、遺跡を発見しました。前年に北京(ぺきん)オリンピックが終わって中国は好景気の時期であり、各地で工事が行われていました。さて、見つけた遺跡はすぐに河南省文物局に連絡されて調査が始まりました。

 

 

 

荒らされていた曹休の墓

歴代皇帝の墓を暴こうとする韓遂の兵士

 

 

文物局の人が入ってみると、物があまり無かったことから盗掘されていることが判明しました。まあ、これは不謹慎ですけど仕方ないです。墓泥棒はいつの時代、どこの国でもハイエナの如くすぐに宝のありかをかぎつけますから・・・・・・調査の結果、墓の大きさは東西(横)50.6メートル、南北(縦)21.1メートル、深さ10.5メートルです。

 

レンガを積んで、複数の部屋を設計しています。また、レンガには「左」「右」「第一」「第二」という文字を刻んでいることから作る工程にも順番があったことが分かっています。さらに、土器やスプーンが見つかりました。おそらく、生前に墓の主が使っていたものと考えられます。土器やスプーンは形から、中国の三国時代(220年~280年)のものと判明しました。

 

 

 

曹休の墓から人骨を発見!!

孔子

 

発掘チームはしばらくすると、人骨を発見しました。発見された人骨は3体でした。1体は男性、2体は女性です。しかし、これだけでは誰か分かりません。なぜなら墓に墓誌銘や神道碑が無かったのです。墓誌銘(ぼしめい)神道碑(しんどうひ)は生前のその人物の業績を記したものであり、墓の近くや中にあります。残っていない理由は盗掘で持ち去られたか、王朝が西晋(せいしん)(265年~316年)に交代した時に破壊された可能性があります。発掘チームが1度出した結論は、三国時代の身分の高い人物の墓でした。

 

 

曹休の墓と判明

曹操探検隊

 

発見から1年後の平成22年(2010年)に、発掘チームはある結論を出しました。昨年に洛陽(らくよう)で発見した墓の主は「曹休(そうきゅう)」と発表したのです。決定づけたのは出土品の印鑑でした。洗って文字を丹念に調べたところ〝曹休〟と記されていたのです。これは中国でニュースとなり話題となったそうです。

 

ちなみに筆者は当時大学で勉強中でしたけど、この話題は知りませんでした。2009年に発掘された曹操の墓は知っていましたけど、曹休の墓は全く知りませんでした。

 

「晃、お前の勉強不足が悪い!」

 

「読者に申し訳ないと思え!」

 

そうですね、反省します。

 

 

DNA鑑定を行わず深まる謎

キングダムと三国志 信と曹操のはてな(疑問)

 

さて、問題は墓の中にある人骨です。女性は奥さんと妾(?)と考えられています。男性は当然、曹休です。ならば次にやることは、たった1つ。DNA鑑定です。

 

実は2009年に発掘された曹操の墓からも男性の人骨が見つかっています。一説によると、その骨は曹操と言われています。もちろん、中には疑っている人もいます。ならば、やることは1つしかありません。DNA鑑定を行ってその真偽を確かめることです。ところが、これはDNAの専門家たちが無理だと言っていたそうです。

 

 

DNA鑑定が出来なかった理由

 

理由は以下の通りでした。

 

(1)2000年以上経過しており骨の保存状態が完璧でない

(2)現在の技術では母系は3世代以内で識別可能だが、父系は3世代以内は識別不可。(2010年時点)

 

現在まで、骨が鑑定されたという話は聞いていません。今後DNAの技術が発達することを祈ります。

 

 

三国志ライター 晃の独り言

三国志ライター 晃

 

以上が曹休の墓に関しての解説でした。

 

曹休

 

曹休は『三国志演義(さんごくしえんぎ)』の影響のせいか、呉の偽装投降に引っかかって負けた情けない奴というレッテルが貼られています。この発掘を機に評価が変わってもらいたいです。

 

 

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晃(あきら)

晃(あきら)

横山光輝の『三国志』を読んで中国史にはまり、大学では三国志を研究するはずだったのになぜか宋代(北宋・南宋)というマニアックな時代に手を染めて、好きになってしまった男です。悪人と呼ばれる政治家は大好きです。
         好きな歴史人物:
秦檜(しんかい)、韓侂冑(かんたくちゅう)、 史弥遠(しびえん)、賈似道(かじどう) ※南宋の専権宰相と呼ばれた4人です。
何か一言: なるべく面白い記事を書くように頑張ります。

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