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董卓の最期が悲惨すぎる!火葬で[放置プレイ]の真実

2024年7月25日


 

 

董卓(とうたく)は三国志で悪の代名詞とされている人物です。董卓のどこが悪いのか。董卓は皇帝を操って自分の都合の良い政権を誕生させ、自分に逆らってくる者は誰であろうと殺害。

 

ヘソにろうそくを刺される董卓

 

 

また大金持ちからは金品を没収して懐に入れてしまいます。このように悪いと思われることは大体やった董卓ですが、殺害されてしまいます。董卓はどのように殺害され、殺害された後どのように扱われたのかについてご紹介しましょう。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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三国志の董卓はどのように亡くなったのか

 

董卓は三国志の物語の前半に登場する人物です。董卓は何進(かしん)から宦官(かんがん)討伐作戦の要請を受けると兵を率いて洛陽(らくよう)へ。董卓は洛陽へ向かう途中、宦官討伐作戦から逃亡していた皇帝を保護し、洛陽へ一緒に到着します。董卓は皇帝を助けた事により、権力を自らの物にし、皇帝を交替させて自分の都合のいい政権を作り出します。

 

 

王允

 

 

董卓政権に参加していた王允(おういん)は董卓のやり方に怒り、士孫瑞(しそんずい)を誘って董卓殺害計画を企てていました。その後王允は同じ出身地の呂布を董卓殺害計画に参加させます。王允と士孫瑞は皇帝から董卓討伐の命令書をもらうことに成功し、董卓暗殺計画を皇帝の病気が回復した祝いの日に実行することにします。

 

呂布(りょふ)は董卓が皇帝の病気回復見舞いに宮殿に入った所を狙って殺害。董卓は上記の暗殺計画を妨げることができずに殺害されてしまうのです

 

 

 

三国志演義では王允が娘の貂蝉(ちょうせん)を董卓の元の側近として、董卓の元へ潜り込ませます。董卓は貂蝉を気に入り、いつもそばに侍らせていました。しかし呂布も貂蝉を気に入ってしまい、二人は董卓に内緒であっていたそうです。現代で言う所の不倫ですね。呂布は貂蝉との不倫が董卓に知れたらやばいと考え、王允が画策していた董卓暗殺計画に参加したとされます。

 

 

董卓は死後暫定政府からどのように扱われたのか

 

董卓が殺害された事で新しい政府が誕生。新しい政府の代表は董卓暗殺計画を企てた王允と董卓を殺害した呂布の二人で運営されることになります。彼らは前政権のボス・董卓の遺体をどのようにして扱ったのでしょうか。

 

暫定政府は董卓の遺体を市場に晒して民衆に見せつけます。民衆は董卓遺体を見に大勢が集まったそうです。そして董卓の遺体は暫定政府の役人が管理していましたが、夜冷えたのでしょうか董卓の遺体のへそに火をつけます。ある意味火葬と呼べると思います。

 

さて火葬??された董卓の遺体はその後どうなったのでしょう。董卓の遺体のへそに点いた火はその後数日間も燃え続けたそうです。そして董卓の遺体は灰になってしまいますが、董卓の部下が董卓の灰をかき集めて保管していたそうです。

 

ちゃんと埋葬された董卓

 

暫定政府は董卓の死後、皇帝の元で後漢王朝を運営していましたが長くは持ちませんでした。その原因は元董卓の武将達の扱いにしくじったからです。王允は長安(ちょうあん)近辺に駐屯していた董卓軍の将軍達を許すことなく、放置プレイしていました。

 

元董卓の配下で董卓軍の将軍達は軍師の賈詡(かく)からのアドバイスを受けて、長安へ向けて進撃を開始。賈詡のアドバイスは大成功し、董卓軍の攻撃を受けた長安は陥落してしまいます。そして董卓を殺害した王允は処刑され、呂布は董卓軍に敗北して逃亡してしまいます。董卓軍の将軍達は長安を手に入れると早速董卓の灰を埋葬するため、()で葬儀を行います。

 

 

 

董卓の灰を(ひつぎ)の中にいれて土に埋めると大雨が降り、董卓の柩が地上に出てきてしまいます。十回か繰り返してようやく董卓の柩は土の中に埋めます。董卓の埋葬は不思議な現象が発生しましたが無事に完了し、今でも董卓は土の中で眠っていると思われます。

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

こうして董卓は土の中で眠ることになります。現在でも董卓のお墓は残っていますが、董卓の墓は金品などが盗まれて荒れ果てているそうです。董卓のお墓の中には多くの財宝があったと思われ、盗んだ人は大金持ちになったでしょう。

 

正史三国志を執筆する陳寿

 

正史三国志の作者陳寿(ちんじゅ)も董卓は残虐な人物だったと評価しており、董卓が生前やっていたことを考えれば、墓荒らしは罰当たりですが、因果応報なのかもしれませんね。

 

参考

ちくま学芸文庫 正史三国志魏書 今鷹真・井波律子訳など

 

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