「洛陽(らくよう)の紙価(しか)を高からしめる」
三国志の次の晋(しん)の時代、左思(さし)という人が魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三つの都を描いた「三都賦(さんとふ)」という文章が名作すぎて、都じゅうの人士が三都賦を書き写すために紙を買いに走ったから洛陽の紙の値段が上がっちゃったよ、という故事から、著作が大いに売れることのたとえ。そんな名作を著した左思ですが、とっても残念なブサイクエピソードの持ち主でもあります。
この記事の目次
家柄が低く、容姿にも恵まれなかった左思
左思、字(あざな)は太冲(たいちゅう)。斉(せい)の臨淄(りんし)の出身です。パパの左雍(さよう)は地位の低い官吏として勤め始めて、能力を認められて殿中侍御史(でんちゅうじぎょし)に抜擢されました。
殿中侍御史は後漢(ごかん)の時代では禄高が六百石ぽっち、唐(とう)の時代での官品(かんぽん)がかなり下の方の従七品下ですので、左思の生きた晋の時代でも「めいっぱい出世してやっと殿中侍御史っていう程度だから箸にも棒にもかからない家柄だな」と思われる程度の地位でした。
代々儒学を修める家であり、左思も子供の頃から儒学の必修科目である楽器の演奏と書道を学びましたがあまり上達しませんでした。パパの左雍は友人に「おれの若い頃のほうが賢かったよ」と言っています。外見的には「貌寝」、つまり背が低く顔立ちが醜かったと、『晋書』に記されています。
※パパの左雍は最終的には太原(たいげん)の相・弋陽太守(よくようたいしゅ)まで出世しています。
構想十年、「三都賦」を完成させるが評価されず
左思には吃音がありましたが、言葉の華麗な修辞にたけていました。人との交友を好まず引きこもって暮らしていましたが、妹の左棻(さふん)が文才を買われて(兄同様に文才があったんですね)晋の初代皇帝司馬炎(しばえん)の後宮に召されてから、左思も洛陽に引っ越しました。
この頃から「三都賦」の構想があったのか、洛陽で著作郎(ちょさくろう)の張載(ちょうさい)を訪問して蜀(しょく)の様子を取材しています。また、見識を広めるため秘書郎(ひしょろう)の職につきました。家中の庭からトイレから、いたるところに筆記具を置き、いい句が思いつくとすかさずメモをするという暮らし。構想十年にして、ようやく「三都賦」が完成しました。しかし、最初は誰も評価してくれませんでした。
物の真贋の分らぬ輩の目を開かせてやるために有名人からコメントをもらう
左思は自分の作品に自信を持っており、「三都賦」が誰にも評価されないまま埋もれることを恐れていました。そこで高名な学者の皇甫謐(こうほひつ)を訪問して読んでもらい、序文を書いてもらうことに成功しました。
また、張載に「三都賦」の「魏都」の部分に注釈をつけてもらい、劉逵(りゅうき)に「呉都」と「蜀都」の序文を書いてもらいました。司馬相如(しばしょうじょ)だの班固(はんこ)だのと、いにしえの名文家にたとえながら褒めちぎってもらい、「三都賦」はようやくヒットしました。
爆発的なヒットで紙の値段が上がる
※グラフは出鱈目です。
司空(しくう)の張華(ちょうか)が「三都賦」を読んで感嘆し、「班固や張衡(ちょうこう)のような名文だ。いつまでも後を引く余韻があり、時が経つほどに新しい」と言ったことから大ブレイクし、豪族や貴族が競って筆写しはじめたために、洛陽の紙の値段が高くなりました。
時に、呉(ご)の陸遜(りくそん)の孫の陸機(りくき)は自分でも三都賦のようなものを作ろうと考えており、左思が三都賦を書いていることを聞いて小馬鹿にして笑い、弟への手紙で「田舎者が『三都赋』を書いているそうだが、古紙の再利用で酒甕のふたにされるのがオチだろう」と書いていましたが、左思の「三都賦」を見て驚嘆し、どこにも手を加える余地がないと思い、自分の賦を書くことを諦めました。
……ええ話やん。ここで終わったらええんちゃう?と思いつつも、ここで終わらないのがよかミカンだ。
お待ちかね、ブサイクエピソード
三国時代とその前後の有名人の面白話集『世説新語(せせつしんご)』には、美男子の潘岳(はんがく)のエピソードと並んで左思のブサイクエピソードが記されています。
潘岳は容姿が美しく顔つきも素敵でした。若い頃、弾弓を挟んで洛陽の通りを行くと、
行き会う女性たちは手に手を取って彼を取り囲み、果物を投げてきた(気になる異性
に果物を投げるのは古代中国の愛情表現)ため、馬車いっぱいに果物を積んで
帰りました。
左思は超絶ブサイクでした。潘岳のまねをして街をゆくと、おばあさんたちがこぞって
唾を吐きかけてきたため、くたびれはてて帰りました。
唾というのは、お化けに吐きかけるものです。イケメン潘岳には果物が、ブサメン左思には唾が飛んできたのですね。訳文で「超絶ブサイク」と書いてある部分、原文では「絶醜」と書いてあります。
三国志ライター よかミカンの独り言
最後に左思の「三都賦」のさわりの部分だけでも鑑賞したかったのですが、紙幅の都合上割愛します。『文選(もんぜん)』に載っているので読んで下さい。(気軽に言う!)電子媒体だから紙幅とは言いませんか。電子でブレイクしても紙価を高からしめないんですね。サーバーを重からしめる、ですか。
「三都賦」もいいですが、私は左思の「嬌女詩(きょうじょし)」が好きです。自分の娘たちの様子を愛情の籠った目線から生き生きと描写している詩で、あれを読んだら左思のことちょっと好きになっちゃいます。ブサイクでも。
左思は名門の出でもなく容姿もすぐれずしゃべりも苦手で、渾身の賦を作るのに十年もかけちゃう不器用な人で、やっと完成した作品もなかなか評価されず、それでも自分の作品を信じてなりふりかまわず売り込みに行ったというど根性の持ち主でした。そんな生き様。やっぱりちょっと好きになっちゃいます。ブサイクでも。
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