三国志ファンの皆様。突然ですが、東洋の武道って、恰好よいと思いませんか?
私自身がカンフー映画などを、子供の時にテレビなどで観て喜んでいた人間です。そんな人間が、三国志を読んでいて思うこと。そういえば、「体術系」の武将って、三国志にはいませんよね?
みんな、剣や矛を持っていますよね。殴打や蹴りで敵将を討ち取る武将なんて、いませんよね?
そんなことを考えていた時に、ふと、思いついたことがあります。三国志の時代に、体術を中心に活躍する武将がいたら、面白くないですか?のみならず、その武将が切り開いた武道が、後世にまで影響を与える「中国拳法の重要な一流派」になったら、面白くないですか?
私がこんなことを言いだしたのも、史実に近いとされている『正史三国志』の記述を読んだ際に、「この人は、ぜったい、武道家が向いていたのではないか?いや、武道家として生涯を過ごしたほうが歴史に大きな名前を残せたのではないか?」と思える人物がいたからです。
それは誰かといいますと?
この記事の目次
『正史』で伝えられている内容だけでも十分規格外な許褚!
はい、この御方です。許褚。字を仲康。曹操に仕え、特にそのボディガードのように、身辺を警護していた人物です。
この許褚という人物、馬超軍との戦いにおいては、船にすがってきた兵士を剣でなで斬りにしている描写があります。つまり、別に体術家ではなく、戦時においては武器を使っていた人物のようですね。まぁ、それが普通ですが。
しかし!この人物の伝記を、よく読むと、体力と腕力が、とにかく、異常なのです!もしかしたら、この人物は、帯刀して曹操の側に仕えるより、武道家として生きたほうが、才能があったのではないでしょうか?
許褚が「武道家」に向いていたことを示すこれだけの史実!
その証拠に、以下のエピソードを見てください。『正史三国志』の記述ですが、まるで、規格外な武道家エピソードのように読めないでしょうか?
・昔の許褚は女子供を含めた平民たちを引き連れて砦を築き、山賊集団と抗争をしていた。そのとき、素手で石を投げつけただけで、山賊たちを続々と打ち倒している
・その山賊に対して和解の交渉をした際、許褚は暴れ牛のしっぽを片手で掴み、ずるずると腕力で引っ張って贈り物として持ってきた。これを見た山賊たちのほうが、腰を抜かして逃げた
・ある戦で曹操がピンチに陥った際、川に浮かべた船に曹操をのせて、右手で船を漕いで急流を乗り切ったことがある
・馬超と曹操が会談を持つことになった際、馬超はスキさえあれば曹操を殺してやろうと意気込んで会談の場にやってきたが、許褚にジロリと一瞥されただけで震え上がって帰っていった
最後の「馬超がおとなしくなった」というエピソードは、「馬超が勝手にビックリしただけ」という可能性もありますが、いやいや、これはきっと、本人も武勇でも名を馳せていた馬超、許褚に尋常ならざる「何か」を感じ取ったというエピソードなのでしょう!
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もしこんな許褚が武道の学校を開いたら?
かように、曹操のボディガードとして一生を費やすよりも、武道家として自身の並外れた身体能力を極限まで高めていったほうが面白かったのではないか、と思えるのが、許褚の凄いところ。
あくまでイフ展開ですが、山賊を追い払った後の許褚が曹操に出会わず、そのまま地方で武道の学校を開き、門下生を集めて、一流派を築いたら、どんな武道が完成したでしょうか?
おそらく、その学校の訓練方法は、以下のようなものでしょう。すなわち、暴れ牛のしっぼを片手でつかまえ、引っ張る訓練。許褚は牛を百歩ほど引きずったといいますが、その弟子たちが、毎日、牛を引っ張る訓練に精を出せば、始祖の百歩という記録には遠く及ばずとも、一歩だけ引きずれた者、三歩だけ引きずれた者等々がついに登場したかもしれません!
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東アジア人好みなその武道精神は後の日本に影響を与えた?!
それに、許褚の武道には、カラダを鍛えて強くなることよりも、遥かに大事な教えが含まれるのです。それは、質実剛健、贅沢をせず、おごらず、ただただ朴訥と正直に生きることの奨励です。史実では曹操に仕え、徹底して素朴な忠誠心を見せた許褚。
このイフ展開では許褚は武道の先生になってしまいますが、野心や慢心を抱かず、ひたすらに体を鍛え、あとは自然に従って正直に生きる彼の姿勢は、間違いなくこの流派の精神的な理想像として、弟子たちに伝播していくでしょう。
そしてこの精神は、東にある島国、日本に武士が出現したとき、彼らの好みに一致するのではないでしょうか?そうなれば、なんと他のどこよりも、許褚の武道は日本で尊敬され流行するかもしれません!
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まとめ:流派の名前は「虎痴流」でいかがでしょう?
そんな許褚の中国武道。名前はどうしましょうか?始祖の許褚のニックネームに倣って、「虎痴流」というのは、いかがでしょう?史実におけるこのニックネームは、「虎のように強いが、痴人のようにいつも、ぼーっとしている」許褚の生き様からついた愛称のようですが。
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三国志ライターYASHIROの独り言
しかし、これを転じて、「虎のように強健な肉体を鍛えつつ、精神はまるで痴人と間違われるほど純朴たれ」という始祖の教えとして流行らせれば!
「虎痴流」はけっして悪いニュアンスの名前ではなく、いかにも東洋思想的な含みをもった名前として認知されるのではないでしょうか?
そして現代のカンフー映画においても、ブルースリーやジャッキーチェンのような、俊敏なタイプの武道家ばかりでなく、許褚のような「朴訥とした大男」が主役として活躍するジャンルが、成立していたかもしれません!
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