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[人物評]夏侯和:晋王朝のフィクサーになり損ねた理由とは?

2023年10月20日


曹操と夏侯惇

 

()」といえば夏侯といわれるほど縁の深い一族。

 

夏侯和(かこうわ)は、その将軍である夏侯淵(かこうえん)の4人目の子どもとして生を受けました。ここでは史実を中心に夏侯和の深謀遠慮(しんぼうえんりょ)なキャラクターに迫っていきます。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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夏侯淵の4番目の子ども

魏みんなで魏志倭人伝(夏侯惇、典偉、夏侯淵、許長、張遼、曹操)

 

武将・夏侯淵ですが、子どもは夏侯衡(かこうこう)夏侯霸(かこうは
)
夏侯称(かこうしょう)・夏侯和・夏侯威(かこうい
)
夏侯栄(かこうえい)夏侯恵(かこうけい
)
がいました。その数7人。

 

夏侯和(かこうか・かこうわ)

 

夏侯和は、その4番目の子どもとして生まれます。

 

袁紹の妃 劉氏

 

母親は丁氏(ていし)卞氏(べんし)劉氏(りゅうし)のいずれかという言い伝えで、劉氏に至っては曹操(そうそう)の妹に当たります。こうした血縁関係から夏侯一族は曹操と深い間柄にあったことが推察できるでしょう。出身地は現在の安徽省(あんきしょう
)
亳州(はくしゅう)でした。三国時代は沛国(はいこく)と呼ばれていました。日本で江戸時代に東京が武蔵国(むさしのくに
)
と呼ばれていたのと似た感覚です。

 

 

 

「河南尹」の位に就任

魏の夏侯淵

 

夏侯和は魏おいて「征西将軍(せいせいしょうぐん)」と呼ばれ、征東将軍(せいとうしょうぐん
)
征南将軍(せいなんしょうぐん)征北将軍(せいほくしょうぐん)と並ぶ四征将軍(しせいしょうぐん)の一人に数えられていました。

 

「西を征する将軍」という意味ですから、魏国の西側で武功を上げたか、西の地域を受け持っていたのでしょう。父親同様、かなりの力があったようです。そして、「河南尹(かなんいん)(官名の一つ)」にまで登り詰め、大臣として魏国に欠かせない存在となります。

 

 

 

鍾会の乱

鍾会

 

西暦264年8月、鍾会(しょうかい)の乱が起きます。

 

 

野望が膨らむ鍾会

 

 

このとき夏侯和は、成都(せいと)にあって鍾会に惑わされることなく、断固とした態度を貫き通します。また、危険を顧みず、諭したそうです。

 

殺害される姜維と鍾会

 

まもなく、鍾会は天に召され、夏侯和は生き残ります。

 

司馬炎(はじめての三国志)

 

夏侯和の正しい判断が実を結んだのでしょう。晋朝(しんちょう)の成立に際して武帝擁立(ぶていようりつ)に一役買います。つまり、皇帝に対して借りを作ったことになり、皇帝に近い権力を握りつつあったのです。

 

後継者争いをしている曹丕と曹植

 

中国で皇帝を擁立する際は、親や兄弟同士で駆け引きをすることが多く、刺客を放って敵対勢力を葬ることも日常茶飯事でした。

 

 

斉王になる司馬攸

 

 

結果的に「(しん)」という一大国家が成立していますが、当事者の夏侯和は一歩間違えれば、殺されていたかもしれないのです。

 

鍾会を説得する姜維

 

 

さらに言えば、鍾会(しょうかい)が新しい王朝を建てていた可能性もあります。それぐらいギリギリの状況で王朝の交代は行われます。

 

司馬懿が頭を下げても堂々とする常林

 

淡々と曹一族の魏から司馬一族の晋朝に変わったように見えますが、影では様々な策が張り巡らされていたのです。

 

 

 

晋の皇帝が倒れる

 

ある日、皇帝が危篤になります。一方で、それは次の皇帝候補を立てるチャンスでもあるのです。当時、夏侯和には娘が二人いました。そのうちの一人が斉王に嫁いでおり、夏侯和にとっては娘の夫、つまり義理の息子を皇帝に仕立て上げる絶好の機会だったのです。

 

斉王のように「」がつくのは、皇帝の親族のうち次の皇帝になりうる存在であることを意味します。そういった身分を持つ人物は皇帝とは別に自分の住居を与えられ、「斉王府」というお屋敷名で呼ばれるのです。

 

 

 

現在でも北京に行けば、「恭王府(きょうおうふ)」など皇帝の親族の屋敷を観光することができます。

 

閑話休題(かんわきゅうだい
)
。不運にも危篤だった皇帝は持ち直します。

 

皇帝は側近から、夏侯和が次の皇帝候補には斉王がいいのではと進言したことを耳にします。勘の鋭い皇帝は、きっと夏侯和が斉王を次期皇帝に仕立て、自分が政権を握るに違いないと予測したのでしょう。

 

クーデターを起こされないよう夏侯和から兵権を取り上げ、役職を「光禄勲(こうろくくん
)
」にグレードダウンさせます。こうして夏侯和のフィクサー計画は頓挫するのです。

 

兵を動員できなければ、皇帝に対抗できません。処刑こそされませんが夏侯和に関する記述は、ここで途絶えます。

きっと目ぼしい活躍はなかったのでしょう。

 

三国志ライター上海くじらの独り言

三国志ライター 上海くじら

 

夏侯一族の一人、「夏侯和」の生涯について執筆しました。

 

それほど耳にしたことのない武将でもたくさんのストーリーが展開されているものです。今まで三国志に深い関心を寄せていなかった読者もよりディープな三国時代の世界に埋没できたことでしょう。イメージが湧きにくい人は実際に中国へ旅行してみるのもいいかもしれませんね。

 

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上海くじら

上海くじら

三国志との出会いは高校生の頃に読んだマンガの三国志。 上海留学中に『三国志演義』の原文を読む。 また、偶然出会った中国人と曹操について語り合ったことも……。 もちろんゲームの三国無双も大好きです。 好きな歴史人物: 曹操、クリストファー・コロンブス 何か一言: 覇道を以って中原を制す

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