南蛮の王者・孟獲を弟に持つ孟節。三国志演義にのみ登場する人物です。孟節は、蜀の南蛮制圧に抵抗するどころか、蜀軍の兵士を助けています。
孟節を南蛮の裏切り者と捉える節もありますが、はたしてそれは真実だったのでしょうか。解毒に使った植物もあわせて、孟節の人生観に迫ってみましょう。
孟獲たちと袂を分かつ孟節
南蛮に暮らす民族にとって蜀軍の侵攻は、ただの植民地政策に他なりません。一般感情からすると対抗心を燃やす孟獲たちの方が正しいように感じます。しかし、兵を率いて戦うということは権力の争いに巻き込まれることを意味します。
権力や政治闘争に関わりたくないと思った孟節は町を離れ、山奥で自由気ままな生活を送ります。さらに、氏素性がばれないように名前まで変えます。
例えるならば、都会での暮らしに嫌気が差した若者が田舎で新たな事業を立ち上げるようなものです。BMWを乗り回したり、六本木ヒルズには住めませんが、のどかでゆったりとした時間を得られます。満員電車からは解放され、起きたいときに起き、食べたいときに食べればいいのです。
南蛮討伐で兵士が話せなくなった!?
ある日、蜀軍は孟獲との戦いで毒の泉によって進路を阻まれます。その泉の水を飲んだ兵士たちが話せなくなってしまったのです。
泉に限らず古代中国では毒によって敵兵を話せなくさせる策が用いられています。軍による攻撃は情報戦です。迅速に口頭で伝達できなければ、兵士として戦況を報告できず使い物になりません。字の書ける兵士などほぼゼロに等しく、書けたとしても時間がかかります。
また、権力者が口封じのために目撃者に話せなくなる毒を盛ることがあります。主に王宮と関係のない庶民などに使われます。王妃のスキャンダルや暗殺シーンなど、その場に偶然居合わせてしまった庶民にこっそり盛ります。
万安渓の仙人とは?
部下が毒にやられて困っていた王平。軍師・諸葛亮の到着を待ちます。
すると諸葛亮は万安渓にいると噂の仙人を訪ねます。地元の人から彼なら兵士の毒を直せるかもしれないと聞いたからです。
王平を連れて、諸葛亮は万安渓へと入っていきます。そこで諸葛亮は、足元まである白くて長い衣に緑色の目、黄色いの髪をした仙人らしき人物に遭遇します。
すると向こうから諸葛亮に話しかけてきました。
「もしかして、諸葛亮様では?」
「いかにも。どうして私のことを?」
諸葛亮は驚いて訊き返します。
「諸葛亮様の名は、ここ南蛮の地にまで知れ渡っています。
知らない人はいません。」
期せずして仙人に出会った諸葛亮、事情を話すと解毒剤を調合してくれました。丁寧な対応に軍師・諸葛亮は去り際に名前を尋ねます。
「孟獲の兄の孟節です。
両親は私、次男の孟獲、三男の孟優を生み、すでに亡くなっています。
そして、二人の弟は蜀に反抗し、戦を起こしたのです。
どうかお許しください。」
諸葛亮はため息交じりに言いました。
「ええ、彼らの抵抗は依然として続いています。
蜀の皇帝にお願いして、あなたを南蛮の王にして差し上げしましょう。」
「富と名誉を逃れて、この地に参ったのです。どうしてお受けできましょうか。」
そういうと孟節は諸葛亮の申し出を丁重に断ったそうです。
孟節はどんな解毒剤を使ったの?
孟節の解毒剤によって、蜀軍の兵士の毒は回復し、孟獲たちを捕らえることができました。さて、孟節は一体どんな薬草を煎じたのでしょうか。
それは薤叶芸香です。金花茶と言えば知っている読者もいるでしょう。数は少なく、古代中国では神様の植物と言われるほどレアな薬草でした。
現代中国でも肝機能の改善にもっとも効果のある薬草に認定され、植物界のパンダ、茶葉の皇后と称されるほどです。
実際に解毒作用もあり、脳を休め、がんや二日酔いにも効果のある優れた薬草です。
広西チワン族自治区で人工栽培され、ヴェトナムでも生育されています。
三国志ライター上海くじらの独り言
諸葛亮が南蛮の王にしてあげようとした孟節。蜀の南蛮制圧の真の勝利者は孟節なのかもしれません。三国志演義の架空の人物ですが、薬草に詳しく、ストレスのない暮らしをして、仙人のように長い寿命を全うしたことでしょう。三国志は中国を平定する以外にもさまざまな人生観を伝えているのです。
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