三国志に登場する武将の中でも人気の高い「趙雲(ちょううん)」ですが、「三国志演義」で語られる趙雲のイメージが強く、近年では真実の姿が疑問視されています。今回は趙雲の武功や容姿について解説していきましょう。
趙雲子龍のプロフィールと経歴
冀州の常山郡の出身で、字は子龍です。趙雲子龍、または趙子龍などと呼ばれています。三国志演義の作者といわれている羅貫中(らかんちゅう)と同郷だったこともあり、「三国志正史」と比較すると脚色が多くなり、趙雲の活躍の場面が増えたのではないかと推測されています。
映画「レッドクリフ」でも趙雲は抜群の活躍をしていますね。類まれな武勇をもって、敵である曹操軍との乱戦の中から主君である劉備の息子を救出しました。この子が蜀の二代目皇帝となる劉禅です。劉備の益州平定、漢中制圧に尽力し、演義では蜀の猛将五人衆「五虎大将」のひとりとして紹介されています。他のメンバーは、関羽・張飛・馬超・黄忠といずれも優れた名将ばかりです。
趙雲は本当にかっこいい顔立ちをしていたのか?
身長は180cmほどだったそうです。演義によると、趙雲の容姿は威風堂々としており立派だったと記されています。眉は太く、目が大きく、あごが重なっていようで、重厚感がありますね。私はいつも俳優の里見浩太朗さんをイメージしています。
冷静沈着で忠義の勇者である趙雲のイメージはどんどん美化されていき、三国志の映画や漫画、ゲームなどではかなりのイケメンで描かれることが常です。趙雲の故郷にある趙雲像もやはり凛々しいですね。
趙雲の伝説と最期
乱戦となっている戦場にひとりで飛び込み赤子を抱いて救出していること自体がすでに伝説的な活躍ですが、趙雲には他にも語り継がれていることがあります。その一つが愛馬「白龍」とのエピソードです。白龍という名の白馬とコミュニケーションができたといいます。呂布の赤兎馬に対抗したような話ですね。もともと趙雲は白馬義従を従えて精強だった群雄・公孫瓚の家臣でしたから、その名残なのかもしれません。
しかし「イケメン」で「強く」て「白馬に乗っている」というのは、典型的な王子様キャラです。このイメージが強く、年老いた趙雲の姿はほとんど描かれません。正史や演義でもびっくりするほど静かに息をひきとっています。羅貫中も趙雲のイメージを壊したくはなかったのでしょう。
主騎って何?
公孫瓚の配下だった趙雲は、当時公孫瓚のもとに身を寄せていた客将的存在の劉備の与力として田楷の救援に向かいます。このときの趙雲の役目が「主騎」でした。公孫瓚軍の騎兵隊長といったところでしょうか。劉備の相談役、警護役でもあったと思われます。
このときから劉備は趙雲のことを高く評価するようになったようです。公孫瓚や劉備に認められているわけですから、趙雲の武勇はすでに一流のものだったということではないでしょうか。ここで劉備との親交を深めた趙雲は、公孫瓚が滅亡した後に劉備に仕えることになるのです。
はじめての三国志ライターろひもと理穂の考察
演義に描かれている趙雲は完璧な武将です。イケメンでかっこよかっただけでなく、戦場での無双ぶりも素晴らしく、歴史上トップクラスの名将だといっても過言ではないでしょう。絶大な人気を誇るのも当然のことです。
ただし、あくまでも、家伝ではないかといわれている「趙雲別伝」、それを参照した裴松之の注釈、さらに味付けした演義を参考にした場合の話です。はたしてそれほどの人物が、なぜ初版の正史にほとんど取り上げられなかったのか・・・ミステリーですね。その他にも趙雲にまつわる話はたくさんあります。興味がある方は「はじ三」で検索してみてください。さらに趙雲の魅力を感じることができますよ。
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