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[人物解析]孔融:孔子の血を引く学者、曹操に反抗し破滅

2024年9月25日


孔子 儒教

 

孔子は現在まで中華に根強く残っている儒教の信仰を作った人物です。この孔子様の子孫が三国志の時代に生きていたのを知っていましたか。その名は孔融(こうゆう)」と言います。青年の頃から才気にあふれた人物でした。しかし後年、自分が発した言葉が原因で亡くなることになります。今回はそんな孔融の生涯をご紹介します。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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青年期から優秀な人物

孔融

 

 

孔融は青年期から学問に励み優秀な人物でした。そんな彼は名声が高く天下にその名を響かせていた李膺(りよう)に会って話がしたいと思い彼の元を訪れます。当時李膺の名声はすごく彼の元を訪れる客が非常に多くいました。そのため彼は自分に関係のある人か、よほど優れた人物にしか会わないと決めておりました。孔融は李膺と接点がなかったのですが、彼に会うために秘策を用意して向かいます。

 

 

 

秘策を用いて李膺と面会

 

孔融は李膺の家に着くと「李膺さんと先祖代々付き合いがある者です。」とぬけぬけと門番に言い放ちます。李膺は先祖代々の付き合いがある人が来たという事で孔融を家に向か入れます。彼はさっそく孔融に「私と先祖代々の付き合いがあるというが、どういう関係があるんだい」と尋ねます。

 

すると孔融は用意していた秘策を李膺に用います。孔融は「私の先祖は孔子であなたの先祖は老子ではありませんか。この二人は友人でありながら、ともに学びあった仲間です。という事は私とあなたは先祖からの知り合いになりませんか。」と述べます。すると同席していた者たちは大いに感心し、李膺は孔融の言葉を聞いて大いに笑い「確かにそうだ」と言います。こうして李膺と面会し、色々なことを語り合います。

 

 

兄の友人を命がけで守る

 

孔融はある時、家で学問書を読んでいると一人の男が訪ねてきます。彼はその男を家に招き話を聞くと、「中常侍(ちゅうじょうじ)から目を付けられて命を狙われており、兄にかくまってもらうために来た。」と話します。だが男にとって不運なことに孔融の兄はちょうど家を留守にしていました。

 

しかし孔融は侠気を見せて、男を自宅に匿います。その後、男が孔融の家に匿われている事が役人にばれてしまい、兄の友人は脱出に成功し、姿をくらましますが、兄弟は捕まってしまいます。兄と孔融は役人に「自分がかくまった」と言って互いに庇いあいます。その結果兄が処刑させられてしまい、孔融が釈放されることになります。この兄の知り合いを命がけで守ったエピソードと兄を救うため自分が身代わりになったエピソードの二つが天下に知れ渡り、孔融の名声は一気に高まることになります。

 

 

北海の国を治める

 

孔融はその後、家を出て朝廷に仕えることになります。董卓が洛陽に入って来て、漢が混乱を極めていた時は首都から遠い、北海の国を統治する世に命じられます。北海の国は現在の山東省にある国です。孔融は北海国に赴くとさっそく学校を立て、城を修復し、有能な人物である王修(おうしゅう)を中央に推挙し、天下にその名を知られていた鄭玄(ていげん)を厚遇します。

 

 

孔融の統治能力に問題あり

 

孔融はこうして政治能力にも優れているようですが、実は政治能力はあまりありませんでした。「九州春秋」という書物を書いた司馬懿の弟の司馬進(しばしん)の息子である司馬彪(しばひょう)が書いた物ですが、この中で彼は孔融を大いに批判しております。彼曰く「孔融は自分の才能を過信していた為か、天下の実力者に仕えることをしなかった。

 

また少し変わった人物を重用して実力のある人物を用いなかった為、北海に新たな法を立てても実行できず、たいして役に立たなかった。また敵が北海に攻め込んできた時は、守備をせず読書に励んでいた。そのため、城は陥落し一人で逃げるありさまである。」と辛口の評価をしております。すべてが事実ではないと思いますが、あまり政治向きな人ではなかったようです。

 

 

 

袁譚に攻められる

 

袁紹の長男である袁譚(えんたん)が北海に攻め込んできます。孔融(こうゆう)は袁譚が攻め込んでくるとろくに抵抗することなく逃亡します。こうして北海は袁譚に奪われる事になり、その後孔融は北海を奪い返そうとすることなく、漢の皇帝がいる許へ逃げ込みます。

 

 

高位の位に就く

 

漢の皇帝がいる許へ着いた孔融はさっそく曹操と面会。曹操は孔子の子孫である孔融を優遇して、たいして功績を残していない彼に将作大匠(しょうさくだいしょう)の位を与えます。この官位は宮殿や皇帝の宗廟を作る役目を持った役職です。しかしこの官位に長くとどまらず、次々と官位が上がっていきます。

 

 

建安文学の代表的な人物となる

曹植

 

孔融は政治に関してはたいして役に立ちませんでしたが、青年期から博学であったことから文学に秀でており、この時代の文学の中心的人物となります。後世この時代の文学に秀でていた人物を「建安の七子(けんあんのしちし)」と呼ばれ、この七人の中の一人に孔融も名を連ねておりました。ついでにこの七人は孔融を筆頭に、陳琳(ちんりん)・徐幹(じょかん)・王粲(おうさん)応瑒(おうとう)・劉楨(りゅうてい)・阮瑀(げんう)の七人となっております。

 

 

曹操と対立

表情 曹操05

 

孔融は文学の才能があったためか、口が達者でありました。そのため彼は曹操が実施した政策に対して、真っ向から反対します。曹操は政策を実施するたびに孔融が古典から引用し、反対意見を述べてくる為、次第に彼に嫌気がさしてきます。いつもの曹操であれば自分に対して、諫言を呈してくる者にそんなにイライラすることはありませんでした。しかし孔融が述べてくる意見は屁理屈を軒連ねて述べてくるので、彼の意見を聞いている内にだんだんとイライラがたまっていったそうです。

 

 

ついに曹操がブチきれる

朝まで三国志 曹操

 

 

曹操は孔融の屁理屈を聞いて我慢しておりました。その理由は自分がまだ見出していない才能が彼にあるかも知れないからです。曹操は才能が有れば、犯罪者でも受け入れるほどの人材大好き人間でした。そのため色々な人材が全国各地から集まってきます。もちろんその中には、犯罪者などがおりました。そんな中曹操は孔融に才能がまだ埋もれている可能性を捨てきれず、見定めておりました。しかしついに曹操は孔融の屁理屈に我慢できず、ブチきれてしまいます。曹操はブチきれた原因は自分が荊州や呉を平定するため、遠征準備をしていた時、孫権の使者が許へ訪れます。

 

 

暗殺計画自慢の董承08 曹操

 

この時に孔融は曹操を批判するような発言を繰り返したことに、曹操はブチきれます。そして孫権の使者が帰ってから数日後、孔融を逮捕させてそのまま処刑します。こうしてすっきりした曹操はそのまま天下統一へ向けて南方平定の遠征に向かいます。

 

 

曹丕からの評価は高い

曹丕皇帝

 

 

曹操は孔融を殺してしまいますが、息子の曹丕は彼を非常に高く評価しています。曹丕は孔融を「孔融が書いた文章の文体は気品があり優れている。」と彼の文章能力を高く評価しておりますしかし曹丕は孔融の文章能力を高く評価する半面「彼は議論があんまり得意ではなく、すぐに人を小ばかにするような発言をする」と曹操がイラッとした短所を述べております。

 

 

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

孔融は自身の才能を高く過信している人でした。また風変わりな人物とよく付き合っており、はじさんでも人気の高い禰衡(でいこう)を高く評価しておりました。

 

 

朝まで三国志 禰衡

 

 

曹丕も言っていたとおり、口が悪かったことが原因で殺害されてしまいます。皆さんも「口は禍の元」という諺があるように、おごらず謙虚に過ごしましょう。「今回の三国志のお話はこれでおしまいにゃ。次回もまたはじめての三国志でお会いしましょう。それじゃあまたにゃ~」

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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