三国志の英雄の一人、蜀の国の諸葛亮孔明は、史実では大国の魏に挑むも膠着状態を打破できず、けっきょく陣中で病没してしまいます。
漢王朝復興という望も果たせず、彼の死後には蜀も滅ぼされることとなります。魏呉蜀の三国鼎立時代とはいえども、やはり一強の魏は強かった!しかしここで考えてみましょう。
諸葛亮は中国の統一にこだわるあまり、魏の司馬懿を相手に何年もの膠着状態を続けたまま、寿命を使い切ってしまいました。ですが孔明にもっと巨大な、そう、ジュリアス・シーザーやアレクサンドロス大王レベルの視野があったら?
「待てよ?我らの目標は蜀の国を発展させ、漢王朝の血縁による王朝を復活させること。
何も魏をムリに滅ぼして中国を奪還するだけが方法でもあるまい?
思えば世界は広い!中国など魏にくれてやって、われわれ蜀は西の大アジアのステップ地帯や砂漠地帯に打って出て、魏などよりももっと広大な、世界帝国『蜀』を築けばよいではないか!」と閃いたら?
この記事の目次
もし孔明古代中国とローマ帝国までをつなぐ古代のシルクロードに目を向けたら!
学校で世界史を習った人なら、そもそも古代史のところで誰しも疑問に思う点ではないでしょうか?
「古代世界では、中央アジアを横断しての交易路が出来上がり始めていたという。実際にいわゆる『シルクロード』交易が最盛期を迎えるのはもう少し後のだが、三国志の時代にも既に、インドや中央アジアや、ローマ帝国との交流は始まっていたはずだ。
ではなぜ、三国志の英雄たちは誰も、いっそ中国内部での戦乱を見限って、西の偏狭の地へと打って出ないのか?インドや中央アジア、さらにはローマ帝国を相手にした世界史的な野望を抱く英雄がいなかったのか?」
もちろん、身も蓋もない言い方をしてしまえば、三国志時代の軍隊の機動力や補給技術を考えると、とうてい、中国を離れての大ユーラシア遠征などできなかった、というのが答えなのでしょうが、
しかし!ここは、我らが諸葛亮孔明!
実際彼は南蛮王孟獲との戦いの際、中国本土を離れてアウェーな異国の風土に乗り込みましたが、さまざまな発明品や機略を用いて戦いを有利に運んでいました。
「中国を捨てて、蜀は中央アジアを取り行く!」と決めてしまえば、戦車を発明したり、長期間の保存に耐える饅頭を発明したりと、ユーラシア遠征に備えた新兵器を続々と開発したに違いありません。今回は、そんな諸葛亮孔明が、中国統一を捨ててユーラシア大陸大遠征、シルクロードを西へ西へと、蜀漢の勢力拡大にいそしんだらどうなるか、考えてみました。
というのも、この時代の孔明が西を目指してくれると、古代世界史ファンとしては、まさに夢の対決が、実現するかもしれないのです!その相手となるのは・・・
古代史好きなら惚れこむ男、ササン朝ペルシャのアルダシール一世
ササン朝ペルシャの、アルダシール一世。ゾロアスター教の神官の孫として生まれ、古代パルティア王国を権謀術数で崩壊させ、みごと、大帝国、ササン朝ペルシャを創始した、古代史の大人物です。一世代でこれほどの世界帝国を立ち上げた偉大な英雄として、古代世界史好きならファンも多いはず。そうなのです!よく世界史の教科書を見てください!諸葛亮孔明と、アルダシール一世は、ほぼ同年齢なのです!
実際の世界史では、諸葛亮孔明は中国から出ることなく、アルダシール一世もいまでいう中東方面の人なので、両英雄が邂逅することはありませんでした。ですが蜀漢が中央アジアに攻め込むと、がぜん、アルダシール一世が反応するはず。ここに、古代世界史好きにはたまらない、夢の対決が始まります!
>>【架空戦記】帝政ローマ軍と三国志軍が戦ったらどっちが勝つの?軍隊の編成や武器なども徹底解説
こちらもCHECK
-
-
【三国志if】もしも劉備が諸葛亮孔明にフラれていたら!?
続きを見る
戦闘の経過は恐らくこうなる?蜀軍VSササン朝ペルシャ軍!
現代でいうアフガニスタンの山岳地帯を平定し、そこを新しい拠点とした蜀漢。諸葛亮孔明はそこで、このさらに西には、一代で帝国を築き上げた当代の英雄、アルダシール一世が待ち構えていることを知ります。「聞けば聞くほど、当代きっての偉人のようだ!司馬懿などよりも私のライバルにふさわしい」と孔明は闘志を燃やすでしょう。
待ち構えるアルダシール一世も、諸葛亮孔明の実績を聞き、「わしといずれは戦うべき、運命の男かもしれぬわ!」といきり立ったでしょう。決戦地はメソポタミアの大平原。蜀軍は新兵器の戦車や弩を駆使し、趙雲や魏延らの労将たちが意気盛んに駆け巡ります。アルダシール一世はそれに対して、中東から集めた屈強な歩兵たちと、インドから集めた象を駆使した大勢で立ちふさがるでしょう。
>>諸葛亮の功績とは?孔明は本当に軍事と政治の功績を残せたのか?
こちらもCHECK
-
-
孔明・龐統・徐庶の三人がいたら劉備軍はどうなる!?【if三国志】
続きを見る
まとめ:この戦いは世界史の教科書を変える!
で、けっきょくどうなるかというと、どう考えても、多勢に無勢な蜀漢は、ササン朝ペルシャ軍の分厚い軍勢を打ち破れず、戦闘は膠着状態になるでしょう。そうしているうちに陣中で諸葛亮孔明の寿命がつき、蜀の後退が始まります。この世界史的な対決は、引き分け。しかしそれでも、アルダシール一世にとって、「中国には諸葛亮孔明という好敵手がいた!」という記憶は生涯残るものとなるでしょうし、アルダシール一世と諸葛亮孔明の激闘は、叙事詩としてペルシャ語やアラビア語の文学に残り、詩人たちによって後世まで伝えられたでしょう。
司馬懿と引き分けて病没しった諸葛亮孔明と、アルダシール一世と引き分けて病没した諸葛亮孔明、比較して、どちらが巨大に見えますか?もちろん後者でしょう。こうしてみると、中国にとじこもって終わってしまった孔明よりも、このようなダイナミックな孔明のほうを、見てみたかった、と思いませんか?
もちろん、古代ユーラシアの距離感を考えると、いささか無理があるかもしれないイフ展開ですが、敢えて今回は、こんな夢を追ってみました。そして、まことについでのハナシながら、今日のこの記事によって「ササン朝ペルシャ」とか「アルダシール一世」とかいった言葉を初めて聴いた学生の方がいたら、次の世界史の試験の点数アップにわずかなりとも貢献できるかも!それだけでも今回のこの壮大なイフ展開を考えた私は本望です!
こちらもCHECK
-
-
もし諸葛孔明が孫権軍に入っていたら三国時代の帰結はどう変わった?
続きを見る