今回は三国志の沼の中でも一度は名前を聞いたことがあるかと思います陣形、八門金鎖の陣についてお教えしたいと思います。簡単に触れますと、この八門金鎖の陣というのは三国志演義で出てくるエピソードにある特殊な陣です。
曹操配下の武将である曹仁が繰り出したこの陣を、劉備達はどのようにして破るのか……?そんな話ですが、今回はこれについてより深く解説していこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
この記事の目次
八門金鎖の陣とは何か?
さて、繰り返しとなりますが、八門金鎖の陣とは三国志演義で出てくる陣です。この「陣」というものには色々な意味があり、例えばただ合戦のことを陣とも呼びます。
日本での有名な大阪夏の陣、などがこの使い方ですね。また陣地や陣営のことをただ陣、と表現することもありますが、この八門金鎖の陣については「陣立て」、つまり軍隊を配置して敵に備えることを示しています。
その軍隊の配置についてはもちろん多種多様な並びがありますが、その中で「八門金鎖」と呼ばれる並びについて、次に解説していきましょう。
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視覚的に理解するために!八門金鎖の陣の図解説明
まずは言葉で説明するのも限界がありますので、八門金鎖の陣がどのような陣形をしているのか、図で見て頂きましょうか。
このような八掛けのような陣形にて軍隊を配置して劉備軍と相対したのが、三国志演義で出てくる新野での曹仁です。
陣形に並ぶ兵士は20,000以上、かなりの数の兵士をこの陣形にしっかりと並べられるとなると、曹仁の統率力も大したもの、更にはこのような陣形は劉備も見たことがなく、曹仁の知識も相当なものと伺い知れます。それでは大まかな形も想像できるようになったと思いますので、この形を頭に残したままで次にお願いします。
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八門金鎖の陣の基本構造と編成のポイント
八門金鎖の陣の基本構造は、入口が八つあることにあります。これこそが編成のポイントとも言える点ですね、この八つの門があってこその八門金鎖の陣でもありますから。この入口、つまり門には名前があり、それぞれが
「杜門、死門、傷門、驚門、休門、生門、景門、開門」と呼ばれております。これがとある名軍師と呼ばれる人物によりますれば、「生門、景門、開門から入れば相対する軍に有利になるが、傷門、驚門、休門から入りこむと傷つき、死門と杜門から入りますと軍は全滅することでしょう」
という恐ろしい陣でもあります。三つの入口から侵入しない限り、相対する劉備たちには大きなダメージを負ってしまうという陣でもある……この窮地を如何に突破するのか?というのがこのエピソードのポイントともいえるシーンです。
八門金鎖の陣と他の陣形(八卦の陣)の違い
ここで、八門金鎖の陣と他の陣形……ここでは名前の良く似ている、八卦の陣について、二つの関係と違いについてもお話ししましょう。八門金鎖の陣は前述したように曹仁の用いた陣であり、八つの入口によって構成され、入る入口によっては恐ろしい損害を受けてしまう陣ですね。
対して八卦の陣とは、諸葛孔明が考案したとされる陣形で、三十二の小隊を正方形に八つ配置した陣形です。中央には大将のいる陣を配置することで、敵の攻撃や行軍の状況に合わせ、臨機応変に対応できることから「万能の陣形」と言われています。
ただしどちらも三国志演義で出てくる陣です。一方では八門金鎖の陣をよりレベルアップ改良された八陣図というものを諸葛孔明が考案した……とも言われていますが、これに関しては内容が不明なので現時点では真偽のほどはかなり疑わしいと言わざるを得ません。より三国志の研究が進むことで、もしかしたら何らかの発見がなされるといいですね。
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八門金鎖の陣の攻略法 ~八門金鎖の陣の利点と弱点~
では八門金鎖の陣の攻略法は?
と、聞かれると既にお答えしましたように、「生門、景門、開門から入ること」「傷門、驚門、休門、死門、杜門からは入らないようにすること」これに加えて、曹仁の陣には中央の弱点があったため「生門から陣に突入して景門から抜け、陣を破壊する」ことで三国志演義の劉備軍は勝利します。
そんなに簡単に破られたのなら八門金鎖の陣のは大したことがないのでは?
と思われるかもしれませんが、八門金鎖の陣は知る者が殆どおらず、その効果を考えれば「正しく対応できないまま敗北する」こと必死。知る者が少ないとなれば対応できるものも少ない、未知の陣であることが大きな利点であり、同時に知っていれば破られるからこその弱点、とも言えるでしょう。まあ、ある意味、知識こそ最大の武器、である陣とも言えますね。
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八門金鎖の陣に関するQ&A
ここで八門金鎖の陣に関するQ&Aにて、纏めをしていきたいと思います。
Q.八門金鎖の陣の正解の門は?
A.正解は生門、景門、開門から入ること!
Q.即死要因とその対策は?
A.死門と杜門から入ると全滅必至!傷門、驚門、休門から入るのも避けよう!
Q.八卦の陣との比較は?
A.八卦の陣は諸葛孔明考案の万能陣形!どちらかというと臨機応変対応できる防御陣形かな!
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Q.戦略における実戦テクニックを教えて!八門金鎖の陣で勝利したいです!
A.相手に軍師がいないことを祈ろう!水鏡先生の門下生といたら負けちゃうかも……!?
まあ最後はちょっとした悪乗り部分が大きいですが……こちらについても、最後に次の項目で解説したいと思います。
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八門金鎖の陣の仕組みと効果的な組み合わせ!?徐庶の役割と活用方法
さて、八門金鎖の陣は三国志演義で使用されますが、実に効果的なシナジーを発揮しています。実はこの八門金鎖の陣を破ったのが、直前に劉備の配下に迎え入れられた徐庶です。
それまでは関羽や張飛やらの武勇こそが「売り」だった劉備軍に、突如現れた毛色の違う人物。そんな徐庶が武勇ではなく、知識と軍略でもって強大な曹仁の陣営を完膚なきまでに破る。
読者はここで感動します、ある意味徐庶のデビュー戦であり、実はここが最大の見せ場です。
何故なら、徐庶はこの後に母親を人質にされ、曹操軍へと向かうことになるので……しかしその際に「自分よりも素晴らしい人物がいる」と伝えていく。
その人物こそ、諸葛孔明です。その後、劉備は無事に諸葛孔明を迎え入れ、その奇想天外ともいえる軍略の数々は読者の度肝を抜いていくこととなるのですね。そう、ある意味、八門金鎖の陣とは徐庶を引き立てるための陣であり、その後ろに控える諸葛孔明を引き立てるための陣とも言えるのです。
曹仁ファンとしては何とも形容しがたい場面とも言えますが、だがしかしここで出さないとその後の諸葛亮云々伏龍云々が……と何とも悩ましいエピソードとも言えます。ともあれ、八門金鎖の陣についてでした。どうぞ皆様、敵対する万夫不当の豪傑が使用してきた際には、飛び込む入口にはお気を付け下さいませ。
三国志ライター センのひとりごと
さてこの八門金鎖の陣、当然ながら徐庶の最大の見せ場でもあるので三国志演義を基にした書籍やゲームなどでは結構見かけるものと思われます。しかし、何故か某有名なゲームでこの八門金鎖の陣を破った先に待っていた敵が……曹仁ではなく、夏侯淵だった、という話があります。
筆者もこれにはびっくり、え、なぜ、え?と困惑した思い出が。と、最後には別の話をしてしまいましたが、八門金鎖の陣と言えば徐庶と曹仁(あと李典)ということはぜひ覚えておいてくださいね。どぼーん。
参考:三国志演義
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