魏延は名将・韓信と同じ天才的な戦術眼を持っていた??

2018年8月20日


 

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劉邦

 

前漢帝国を作り上げた初代皇帝劉邦(りゅうほう)

 

韓信

 

劉邦には多くの名将や知将がおり、その中でも代表格なのは張良(ちょうりょう)韓信(かんしん)でしょう。張良は戦に弱い劉邦を智謀で支え、韓信は戦術面で劉邦を支えた人物です。そして今回紹介するのはこの古の名将と名高い韓信と同じ策略を用いて魏を討伐しようと考えた蜀の大将軍を紹介したいと思います。

 

魏延

 

その大将軍の名前を魏延(ぎえん)といいます。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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北伐開始!!

北伐を開始する孔明

 

諸葛孔明(しょかつこうめい)は魏を討伐するため北伐を開始。

 

敵に囲まれる馬謖

 

はじめての北伐戦では魏の西の領土を奪える寸前までいったのですが、馬謖(ばしょく)街亭(がいてい)で孔明の言いつけを守らずに山登りしてしまったせいで敗北してしまいます。

 

泣いて馬謖を斬る諸葛亮

 

馬謖が敗北してしまったため、蜀軍全体も魏の西の領土を維持することが難しくなり撤退していくことになります。その後も孔明は幾度となく魏を討伐するため北伐を行いますが、華々しい戦果を上げることができずに撤退を繰り返していました。魏延は孔明や他の将軍と一緒に北伐戦に参加し、北伐が開始される際毎回同じことを進言していたそうです。魏延は孔明に何を進言していたのでしょうか。

 

 

魏延の進言とは

蜀の魏延

 

魏延は孔明へ「私に1万の兵士をください。私に1万の兵士を与えてくれれば、丞相とは違う道を通って魏の長安を攻撃しましょう。魏の長安が攻撃されたとなれば魏軍は長安防衛のために軍勢を長安近辺に集まてくるでしょうから、丞相は楽々と長安以西の土地を手にすることができるはずです。また長安防衛のために軍勢が集まらなければ私が長安を奪ってみませましょう。」と作戦を進言します。

 

魏延からの提案を却下する孔明

 

しかし孔明は魏延のこの作戦が危険であると判断したため、魏延の作戦は実行されることなくお蔵入りになってしまいます。さてこの作戦古の名将・韓信が使った作戦に似た作戦なのをご存知でしょうか。

 

 

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北伐の真実に迫る

北伐  

 

韓信が用いた作戦とは

韓信が用いた作戦とは

 

漢中に閉じ込められていた劉邦は韓信を大将軍に起用して、項羽(こうう)に反撃の狼煙を上げます。韓信は劉邦へ「関中を攻略するための作戦として陳倉(ちんそう)方面の古い桟道を修理しながら関中方面へ打って出るのが良いでしょう。関中にいる項羽配下の章邯(しょうかん)はあなた様が漢中から出てくるはずはないと油断しているので簡単に打ち破ってしまえるでしょう。また残りの二王も章邯さえ居なくなれば物の数ではありません。」と進言します。

 

この韓信が打ち立てた作戦は成功し、関中全域を支配下に収めることに成功。そして劉邦は項羽と対決する態勢を整えることに成功するのです。さてこの韓信の作戦と魏延の作戦のどこが似ているのでしょうか。

 

 

 

魏延の作戦と韓信の作戦の類似点とは

魏延の作戦と韓信の作戦の類似点とは

 

魏延の作戦と韓信の作戦の類似点とは一体何なのでしょうか。それは敵の油断している方面から奇襲を仕掛けることです。章邯は劉邦が漢中へ向かう時、漢中と関中を結ぶ道路を焼いたパフォーマンスを見せたことで劉邦に野心が無いことを知っています。

 

そのため章邯は劉邦が関中へ出てくる事はないであろうと油断をしておりました。もちろん章邯は劉邦を監視する役目を項羽から与えられていたので、漢中から北上すれば直ぐに気づくように監視の目を光らせていたでしょう。しかし韓信は漢中から北上して最短で真っ直ぐに一直線へ関中を攻撃するのではなく、迂回路を使って関中攻撃を計画して実行。この結果、章邯は劉邦が関中へ攻撃してこないであろうと油断していた為、簡単に打ち破られてしまうのでした。

 

蜀の魏延

 

魏延の作戦も韓信と根本的な所は一緒です。諸葛孔明率いる蜀の本隊に魏の注意が向かっている所を利用して、自らが1万の軍勢を率いて長安へ攻撃を仕掛ければ、注意力が蜀の本隊へ向かっている為、魏延の軍勢に対する注意力が薄れ油断が生じるはずです。

 

青州兵(兵士)

 

そして魏延が長安近辺に到着した時には魏の長安防衛が遅れ、長安を攻略する事が可能なのではないのかと言うのが魏延の作戦内容です。魏延と韓信の両者の作戦は相手の油断を突くという点が類似点と言えます。魏延は古の名将韓信と同じ着眼点を持った名将と言えるのかもしれませんが、魏延の作戦が実行されずにお蔵入りされてしまったので、成功したかどうかはわかりません。

 

 

 

魏延と韓信との作戦の決定的な差とは?

魏延と韓信との作戦の決定的な差とは

 

 

魏延が立てた作戦は名将・韓信が計画実行した作戦に似ていますが、魏延の作戦は成功する確率が低いと上記で説明しました。その理由は魏延が立てた作戦と韓信が計画実行した作戦には決定的な違いがあるからです。ざっくりとまとめてみましたので紹介します。

 

1韓信の作戦は項羽が関中地方の民衆に好まれていない為、その地の民衆の協力を得やすかった。2関中地方を守っている章邯達が民衆に恨まれていた。

 

主にこの二つ要因が韓信の作戦の成功要因です。しかし魏延の作戦は韓信の成功した要因が必ずしもあったとは考えにくいと思われます。長安近辺に住む民衆は魏に長いあいだ統治されています。また長安近辺に不穏な動きは魏延が進言した当時特になく、長安近辺の民衆が魏に怨みを持っている可能性はかなり低いと思われます。そのため長安を守っている守将が民衆に怨まれている可能性も高くないはずです。上記二つの理由からレンは魏延の作戦が成功する可能性は低かったんじゃないかと思います。

 

魏延特集

 

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レンの独り言

 

今回は魏延が名将・韓信と同じ作戦を思いついた点を切り口に紹介しました。さて魏延が立案した作戦を孔明が採用した場合成功したのでしょうか。ここからは妄想になりますが、レンは魏延の作戦は成功しなかったと思われます。それはなぜか下にまとめてみました。

 

参考 ちくま学芸文庫 正史三国志蜀書等

 

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魏のマイナー武将列伝

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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