『三国志演義』に登場する軍師たちは、その頭脳を駆使してさまざまな計略(作戦)を立案、実行しています。
中でも有名なものに“連環の計”があります。
三国志演義での連環の計について
『三国志演義』の作中、“連環の計”と呼ばれる計略は2度登場します。
一度目は漢王朝の司徒であった王允が自分の義理の娘である貂蝉を利用し、董卓と呂布を仲違いさせ、呂布に董卓を殺害させた計略。
二度目は赤壁の戦いに置いて、龐統が曹操軍の船を船酔い対策と称して鎖でつなぎ合わせ、その後に呉軍が火攻めでその艦隊を焼き払ったという計略。
一見して全く違う作戦に見えるこの二つの計略が、どうして同じ『連環の計』と呼ばれるのか、不思議に思ったことはありませんか?
『兵法三十六計』によれば……。
中国の兵法書『兵法三十六計』の第三十五計として上げられているのが“連環計”、つまり“連環の計”です。
『兵法三十六計』によれば、“連環の計”とは「強大な敵軍には正面からまともに戦うのではなく、計略をいくつも駆使してその疲弊、弱体化を図って、タイミングを見計らって攻撃をかけること」とされています。
つまり、複数の計略をあたかも鎖のごとく組み合わせ、文字通り、その連鎖反応で弱体化した敵を攻撃して勝利を得る、というのが“連環の計”、ということになります。
王允が董卓に用いた連環の計はどんなの?
その1:美人計
まず、王允は董卓を亡き者にするため、美人として知られる義理の娘の貂蝉を利用することを思いつきます。
色仕掛けで敵の戦意をくじいたり裏切らせる計略を“美人計”と呼び、『兵法三十六計』の第三十一計にも取り上げられています。
その2:離間計
王允は先に呂布を貂蝉と引き合わせて一目惚れさせておいてから、今度は董卓に彼女を献上してしまいます。
貂蝉はその後も度々呂布と密会し、呂布と一緒にいたいと懇願、その一方で董卓には呂布の乱暴を訴え彼の元には行きたくないと言います。貂蝉を巡る感情の対立が二人の間に起こり、ついに呂布は董卓の殺害に及びます。
まず『美人計』を用いて董卓と呂布を手球に取り、次に『離間計』で二人を対立させる。
この二つの計略を組み合わせたのが、王允の“連環の計”、というわけです。
赤壁の戦いにおける“連環の計”はどんなの?
その1:連環計
赤壁で曹操軍と対峙した劉備と孫権の連合軍。曹操の艦隊を火攻めにする作戦を立てますが、河の上に散開している艦隊に対して火攻めをしても、そのままでは効果的ではありません。
そこで劉備の軍師である龐統が曹操軍に潜り込みます。
その頃、曹操軍の兵士たちは不慣れな船上で船酔いに苦しんでいました。
龐統は曹操に船酔い対策と称して、船同士を鉄の鎖でつなぎ合わせる“連環計”を献策し、曹操に実行させます。
艦隊は鎖で結ばれ密集し、容易に動きが取れなくなりました。
その2:反間計
呉の周瑜は自軍に投降してきた蔡中が、実は曹操軍のスパイであることに気づいていました。
そこで周瑜は蔡中を利用して曹操に偽りの情報をつかませることを思いつきます。
その3:苦肉計
周瑜は自分を批判した配下の将軍である黄蓋を、兵士たちの面前で鞭打ち刑に処し、重症を負わせます。
恥をかかされた黄蓋は曹操軍に投降、事前に蔡中からその情報を得ていた曹操は黄蓋を自軍の陣中に引き入れてしまいます。
黄蓋は敵陣内から艦隊に放火することに成功します。
まず、龐統に『連環計』を曹操に進言させて、火攻めに適した状況を作ります。
次に自軍に潜入したスパイである蔡中にウソの情報をつかませる『反間計』と、黄蓋が偽の投降をする『苦肉計』を組み合わせることで、劉備と孫権の連合軍は曹操の艦隊を撃破することに成功しました。
三つの計略を巧みに組み合わせた“連環の計”というわけです。
なお、『三国志演義』の作中では、曹操軍の艦隊を鎖で結ばさせることを『連環計』と称していますが、これは『兵法三十六計』による“連環の計”の規定には合っていません。むしろ、その後の呉軍が展開した一連の計略(反間計→苦肉計のコンボ)を含めた作戦全体を“連環の計”と呼ぶべきでしょう。