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【優劣対決】戦国武将小早川秀秋 VS 蜀の二代目皇帝劉禅一体どちらが優れていたのか。PART3

2016年5月5日


 

劉禅

 

PART1では見事劉禅を降し、

日本の戦国大名である小早川秀秋が勝利を勝ち取ります。

後が無くなった蜀の二代目皇帝である劉禅は、

PART2で見事小早川秀秋から勝ち、一勝一敗に持ち込みます。

最終決戦であるPART3では一体どちらが勝ち、本当の無能者が決まります。

 

前回記事:【優劣対決】戦国武将小早川秀秋 VS 蜀の二代目皇帝劉禅一体どちらが優れていたのか。PART1

前回記事:【優劣対決】戦国武将小早川秀秋 VS 蜀の二代目皇帝劉禅一体どちらが優れていたのか。PART2

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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最後は潔かったか対決

董允 劉禅

 

人には必ず死が訪れます。

これは人に限らず、生物であれば不可避の自称であります。

今回は戦国武将である小早川秀秋の死と劉禅の最後どちらが潔かったか

対決を行いたいと思います。

さて初めは秀秋さんからです。

 

最後は潔かったか【秀秋編】

 

秀秋は関ヶ原の戦いの活躍により、岡山55万石の大大名へと出世します。

しかしその2年後突如彼は亡くなってしまいます。

秀秋の最後は謎に包まれており、はっきりとしません。

しかし彼の死はいくつか候補がのこっておりました。

 

秀秋の死因その1【祟り】

 

 

秀秋の死因として一番知られているのは、やはり祟りではないでしょうか。

西軍の総大将石田三成の祟りや秀秋が寝返った際、少ない軍勢ながら、

孤軍奮闘するも、全滅の憂き目を見た大谷吉継の祟り。

これらの祟りが秀秋の精神を崩壊させ、亡くなったとの説が存在します。

 

秀秋の死因その2【毒殺】

 

 

家康は小早川秀秋を岡山に領地を与えます。

その後彼が意外にもしっかりとした政策を行っている事を

知った家康は、このままでは豊臣家を助ける大名として成長する危険があると

考え、秀秋を毒殺した説。

この説は豊臣恩顧の将として最有力候補であった加藤清正も家康に毒殺された

説が残っておりますね。

 

死因その3【酒毒】

 

 

秀秋は15歳くらいから酒が好きでがつがつ飲みます。

これが原因でアルコール依存症になり、内臓が悪くなって亡くなったと

されています。

この説はテレビで取り上げられ、現代のお医者様が研究した成果が上がっており、

今一番有力な説です。

しかしこの対決の潔さと言う点においては、彼に潔さなど微塵も感じる事が出来ませんね。

全て自分が招いた結果ですから。

さて次は劉禅の番です。

 

最後は潔かったか【劉禅編】

 

劉禅

 

劉禅は蜀漢の2代目皇帝です。

彼は劉備の後を継いで皇帝に就任します。

皇帝の位を継いだときはスーパー宰相諸葛孔明が彼を補佐。

孔明の死後も優秀な人材が劉禅を補佐して行きます。

その後、宦官の黄晧(こうこう)が劉禅の側近として台頭すると

蜀の政治は大いに乱れ、修正不可能になります。

この隙をついて、魏軍が蜀へ侵攻。

蜀は姜維や孔明の息子達が奮戦するも、魏の大軍に抗えませんでした。

そして劉禅は家臣の勧めによって魏へ降伏する事になります。

 

降伏を決意した2代目皇帝

劉禅

 

劉禅が唯一と言っていい政治的決断が、魏に降伏する事です。

彼は魏に降伏する際、降伏のしきたりに従い、

両腕を縛って蜀の首都である成都城に迫ってきた魏軍の大将・鄧艾(とうがい)の前に

膝まつきます。

この点は非常に潔く、バカやアホなどと罵られていた人物とは思えない

清々しい降伏の姿です。

 

【優劣対決】最終決戦の行方は

劉禅 韓非子

 

さてこうして両者のエピソードの紹介が終わりました。

第3回戦を制したのは…

この人、劉禅です。

理由としましてはアホやバカ、など罵られながらも蜀滅亡時には清々しい姿で、

降伏した姿に感動いたしました。

その為今回の優劣対決は三国志の劉禅に軍配を挙げたいと思います。

 

三国志ライター黒田廉の独り言

黒田廉

 

劉禅が勝利を飾ったので少し劉禅の話をして締めくくりたいと思います。

劉禅はポンコツ君主と言われておりますが、三国の中で一番安定した

国を作っていたのは蜀です。

魏や呉は度々年号を変えております。

年号を変える時には君主が亡くなったり、大事件が起きた時に変更する

事があります。

しかし蜀は年号を数回しか変えておりません。

年号を数回しか変えていないという事は、事件がそんなになかった事を表す

証左で、安定した政権を築き上げた(劉禅一人ではなく、

孔明をはじめとした有能な人材のおかげですが)と

言ってもいいのではないのでしょうか。

「今回の【優劣対決】はこれでおしまいにゃ。

次回もまた初めての三国志でお会いしましょう。

それじゃまたにゃ~。」

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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