孫堅が大活躍した汜水関の戦いと同じころ、
曹操も、反菫卓連合軍の誰もが先陣を切ろうとしないことに業を煮やしていました。
鮑信と共に、菫卓軍の支配下の榮陽県に攻め入り、
汴水(べんすい)という地で、董卓軍の重臣、徐栄と激突します。
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汴水の戦い『三国志演義』
191年、曹操はわずか1万騎で戦いを挑みます。
曹操は善戦するものの、兵力の差は圧倒的でした。
曹操軍は散々に打ち負かされて、多数の死傷者を出し、曹操自身も味方とはぐれて敗走します。
そこへ、徐栄が立ちふさがりました。
馬首を引き返して逃げようとする曹操に、徐栄は矢を射かけます。
曹操は肩を射抜かれてしまいました。
それでも必死に逃げようとしますが、馬も斬られ、捕らえられてしまいます。
そこへ、曹洪が駆けつけます。
「天下に私がいなくとも、あなたがいなければなりません!」
自分の馬を差し出し、曹操の窮地を救いました。
ところが、逃げる二人の目の前に、大河が横たわっていました。
「もうダメだ」
と諦める曹操に対し、曹洪は鎧を脱がせて背に負って河を渡ります。
なんとか泳ぎ切ったものの、ついに徐栄に追いつかれてしまいます。
「今度こそダメだ」
とそのとき、夏侯淵と夏候惇が駆けつけました。
なんと、徐栄は、夏候惇の槍に突かれて絶命してしまいます。
部下に恵まれてよかったよかった……。
汴水の戦い『正史』
徐栄は死にません。
そしてここまで、劇的な曹操救出シーンもありません。
汴水で曹操と戦った徐栄は、惨敗した上に自らも矢傷を負って
敗走する曹操を見て、
「追撃するの面倒くさいな……」と思い、洛陽に帰還します。
曹操軍が少勢ながらも、士気が高かったため、責めにくいと判断したようです。
曹操はおかげで命拾いしました。
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この記事を書いた人:東方明珠
こんにちは。とうほう めいしゅです。
中国は上海の雰囲気が好きなので、テレビ塔の「トンファンミンジュ」を名乗っています。
もともと『水滸伝』の大ファンで、『三国志』に興味を持ったのは、アーケードゲーム「三国志大戦」がきっかけです。
当時はゲームセンターに通いつめました!
まだまだ中国史について勉強中ですが、精いっぱい面白いことを探してお伝えしたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。