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20話:激突、菫卓対反菫卓連合軍

2015年1月17日


 

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反董卓軍マニアック(雷銅 リョカ サマカ 周倉)

 

西暦190年、17名もの諸候から組織された反菫卓連合軍は、20万人という大軍を擁して、洛陽の前庭汜水関に陣を敷きます。その宿営地は、二百里、10キロメートルにも及んだと言われ、菫卓軍将兵を大いに恐れさせていました。

 

前回記事:19話:超豪華!反董卓軍の英雄達

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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董卓軍の2枚看板

呂布 最強 曹操

菫卓(とうたく)は、猛将である華雄(かゆう)を汜水関の総大将に任命し、その背後にある虎牢関を呂布(りょふ)に守備させました。二枚看板を全面に押し出し、絶対に洛陽には踏み込ませないという鉄壁の守りの構えです。

 

関連記事:これは可哀想。。嫌な上司と呂布の謀略の為に死んだ正史の華雄(かゆう)

 

日本の関所(せきしょ)のイメージ

 

関所(せきしょ)とは、交通の要所に設置された、徴税や検問のための施設である。ところで関というのは、日本でいうと「関所」で、木で造られた貧相な門を守るのどかな検問所のイメージですが中国では勿論違います、それは、洛陽の都を守る城壁を持つ大要塞の事を意味していました。

 

反董卓連合軍の初陣・孫堅(そんけん)

孫堅017

 

最初に反菫卓連合軍で名乗りを上げたのは、孫堅でした。部下の程普と共に、汜水関に挑みかかった孫堅は、華雄の副将である胡軫(こしん)を斬り捨てて一番手柄を立てます。その事で意気上がる連合軍ですが、華雄は、それで意気消沈するような並の武将ではありませんでした。

 

関連記事:記録が乏しい孫堅の妻たち

 

董卓軍の2枚看板・華雄の反撃

華雄(かゆう)

 

直ぐ様に反撃に移り、攻勢だった孫堅を押し戻してしまいます。この時に、孫堅は武将の祖茂(そも)を打ち取られました。連合軍は、勢いを殺すまいと、さらに次々と武将を送りだします、しかし、華雄は沈着冷静で、袁術軍の兪歩、韓馥軍の藩鳳を次々に斬殺。

 

恐るべし華雄

顔良&文醜

 

この華雄の強さに連合軍は意気消沈し、盟主の袁紹は、「こんな事であれば、顔良(がんりょう)と文醜(ぶんしゅう)を連れてくるべきであった、、」と嘆いていたと言われています。連合軍は、虎の子の武将をあたら失うのを嫌がり、華雄の挑発にも、誰も手を上げるものはいません。

 

苛ついている曹操

 

曹操は、この状態を危ういと感じて「誰か華雄を討ち果たせる勇者はいないのか?」と叫びますが、辺りは水を打ったように沈黙してしまいます。しかし、この時に、黒髯を胸まで蓄わえた武将が名乗りを上げます。公孫瓚配下の劉備玄徳の義兄弟、関羽雲長でした。

 

関連記事:顔良と文醜の裏話、顔良って実はいい奴?

 

関羽の鮮烈なデビュー

関羽VS華雄完成

 

「おお、勇者なり、景気づけの酒を飲まれい!!」

 

曹操は嬉色満面で関羽に酒を勧めますが、関羽は無愛想に固辞し、

「酒は、華雄を斬ってから頂く、、」と呟くと馬に跨り汜水関に向かいます。

 

華雄も、「また殺されに来たか」と怒声を発しながら、関羽に挑みますが、次の瞬間に首が胴から離れていたのは華雄でした。

 

曹操

 

関羽は華雄の首を引っ提げて陣営に帰還して、曹操が与えた酒を飲み干します、その時、酒はまだ暖かかったと言われます。関羽の電光石火の鮮烈なデビュー戦でした。と何度読んでも、三国志ファンは痺れる関羽の男っぷりですが、実際には、この話は演義のみのフィクションです。

 

実際に華雄を討ったのは孫堅であったと言われています。実際の反菫卓連合軍は、大軍を擁しながら徒に菫卓を恐れ、毎日、会議と宴会ばかりで血を流す諸候は少なかったのです。

 

董卓

 

その消極的な連合軍で、孫堅は一人奮戦し、それを嫌がった菫卓は、これを買収して自軍に引き入れようとしています。しかし、一本気で忠義に厚い孫堅は、「逆賊の手下になど、死んでもなるか!!」と即座に拒絶しています。反菫卓連合軍の強さは、その多くを勇猛果敢な孫堅軍の働きに、頼っていた危うい部分を孕むものでした。そして、その消極的な対応が後の連合軍崩壊の原因になっていきます。

 

次回記事:21話:汜水関の戦いの功労者

 

 

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