男女間の或いは、同性間の恋愛感情を示す行為にキスがあります。
日本では、接吻(せっぷん)と訳され、戦後にはキス表記が一般化しましたが、
さて、このキス、三国志の時代には存在したのでしょうか?
今回は、どうでもいいけど何だか気になる、キスについて説明します。
意外にキスはオープンだった?石像から確認できる古代のキス
さて、結論から先に言いますと、後漢の時代には、
キスは確実にあったという事が分かっています。
それは、成都で発掘された、後漢時代の石像に、
キスをしているものが発見されたからです。
下は、その石像を参考にして、色をつけたイラストですが、
右の人物が左の人物の肩に右手を回して引き寄せ、
左手を相手の頬に添えてキスをしているのが分かります。
双方とも幸せそうな表情をしているので、
これが相手の許可を得ない無理やりな行為ではない事も理解できます。
作法としては、今と寸分違わないのですが、
ちょっとアレ?と思うのは・・・
この石像は、両者とも冠らしきものを被った男性に見えます。
という事は、この石像はキスの証拠であると同時に、
後漢時代にも同性愛があった証拠でもあるかも知れないという
一粒で二度美味しい石像なのです。
つまり・・・
ヤーッホ、ヤッホッホー!BLヤッホー ですね。
そうそう、、キスそのものは、男女間のモノも
壁画として出てきているので、キスが同性愛者同士のみの
愛情の確認方法ではなかった事もはっきりしています。
(写真引用元:オリコン)
キスは当時の言葉で何と言ったのか?
このように少なくとも、後漢時代には、キスの習慣がある事は分かりました。
では、当時、キスはどのように呼ばれていたのでしょうか?
前漢時代の風俗を知らせる貴重な墓である、
長沙馬王堆三号墓から「合陰陽」というセックスマニュアルが発見され
そこには、性愛の技巧としてのキスの事も書かれています。
「虽欲勿為,作相呴相抱,以次(恣)戯道」
こちらが原文ですが、この中の呴という文字がキスを意味しています。
呴の原義には、「息吹きを吹き込む」というような意味があるようです。
日本においては、古来キスは「口吸い」と呼ばれていたようですから、
それとは逆で、中国では、パートナーに自分の息吹きを吹き込む行為だと、
キスは考えられていたようです。
西洋のキスとは違う、性愛の表現としての中国のキス
上記で、房中術、つまりセックスマニュアルの中に存在するように、
中国におけるキスとは、性愛の行為であり、西洋の挨拶としての
キスとは一線を画するものでした。
それゆえに、一般の書物には、中々登場する事がなく、
合陰陽のような、男女の秘め事を解説する書物に出てくるのでしょう。
ですから、三国志演義や正史三国志に登場しなくても、
妻が13名もいた曹操(そうそう)などはキス、
中国でいう呴(こう)をしまくっていたに違いないと思います。
あの厳めしい顔で、キスしてたんでしょうか?
その時の顔は怖いような情けないような・・
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三国志ライターkawausoの独り言
中国においてキスが、性愛の表現であり、西洋においての挨拶としての
キスではなかったというのは、日本とも共通している事です。
日本においては、キスは平安時代の書物から出てきますし、
浮世絵のジャンルでもある春画の中にも登場しますが、
それが市民権を得るのは、明治の文明開化も過ぎて戦後の話です。
今でこそ、かなりその状況は緩和されてきたようですが、
少し前までは、人前でキスなどとんでもないという風潮が支配的でした。
それもこれも、日本におけるキスが、中国からの輸入であり、
あくまでも男女、或いは同性間の秘め事であったという事と、
大きな関係があるという事でしょうね。
本日も三国志の話題をご馳走様でした。
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