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父・信玄を超えるために武田勝頼が行った政策って何?

2017年2月3日


 

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武田勝頼

 

武田勝頼は父である信玄が亡くなると武田家の跡をついで新当主に就任することになります。彼は新当主になった数日後に色々な問題に直面することになるのですが、その中でも一番の問題で早々に解決しなくてはならない問題がありました。

 

大軍を率いて攻める武田勝頼

 

それは徳川軍を追い払わなくてはならないということと家臣団の一致団結です。かれは家臣団を一致団結させるためには父信玄を超える働きをしなくてはならないと考えて、領土拡張政策を積極的に行っていくことになります。

 

そこで彼がまず目につけたのが美濃侵攻(みのしんこう)と信玄が陥落することができなかった高天神城(たかてんじんじょう)攻略戦です。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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美濃へ大軍を率いて侵攻を開始

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

勝頼は徳川軍が三河や遠江、駿河へ攻撃をしかけていることを防ぐためにまず小手調べとして信長が領土としている東美濃(ひがしみの)へ攻撃を開始。徳川と織田は同盟していることから武田軍から攻撃を受ければ織田から徳川へ武田領へ攻撃を仕掛けることに対してストップがかかるのではないかと期待して攻撃を行います。

 

馬にのり凱旋する将軍モブ(兵士)

 

この攻撃ではかなりの戦果をかげることに成功しており、東美濃の明智城(あけちじょう)を含む数十城を陥落させることに成功しています。しかし織田家から徳川へストップが掛かるようなことはありませんでした。そのため勝頼は徳川を打ち払うべく自ら大軍を率いて出陣することにします。

 

父が陥落することができなかった高天神城を攻略

足軽a-モブ(兵士)

 

勝頼は自ら大軍を率いて遠江の要である二俣城(ふたまたじょう)へ救援に赴きます。徳川軍は二俣へ武田軍がやってくるとすぐに浜松城へ帰還します。勝頼は徳川軍へ痛撃を与えることができないため、父が陥落することができなかった要害堅固な高天神城へ攻撃を仕掛けます。

 

実はヒャッハーな武田信玄

 

この城は武田信玄の攻撃を弾き返しただけあり、勝頼率いる武田軍の猛攻を一ヶ月以上耐え抜きますが、兵糧不足が問題となって武田軍に城を明け渡しております。この結果信玄が抜けなかった高天神城を攻略してことによって自らに自信がつくと同時に、内外に父以上の人物であることを印象づけた一戦と言えるのではないのでしょうか。

 

信長が恐れた武田勝頼

織田信長01

 

織田信長は武田信玄が西上作戦を行うために西進してきた時の恐怖をぬぐい去ることができませんでした。そのため彼は信玄が亡くなった後に勝頼が武田家の新当主として就任しても恐れておりました。彼がいかに武田家を恐れていたかを現すエピソードが残っております。

 

上杉謙信

 

上杉謙信は勝頼を早く討伐してくれと徳川と織田へ要請を出します。信長は謙信に対して「越後から勝頼軍を牽制してくれると非常に助かる」と述べてから

 

 

暗号を使う上杉謙信

 

「勝頼は信玄の遺言や法をしっかりと守っており、信玄に勝るとも劣らない人物であると考えている。油断すれば大変なことになるから気をつけるべし」と書状を送っており、信長の中でいかに勝頼が大きな存在であったのかがわかるエピソードだと思います。

 

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戦国史ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

武田勝頼は領土拡張制作を推し進めていくことで、家臣団の意思統一を図っていこうと考えておりました。この考え方は確かに正しいと私は思います。勝頼は信玄から色々な事を教わったかもしれませんが、重臣達から認められるような実績を残していないまま武田家を継ぐことになってしまいます。

 

黒田レン

 

その彼が重臣達から認められるためには戦で勝利を重ねるのが、一番早いのではないかと思います。しかしこの領土拡張政策は家臣団の意思統一を図るにはいいのかもしれませんが、国力を省みてやらないと大変なことになるのと一度敗北してしまったときにも大変なことがおきます。

 

さて勝頼はどうやって領土拡張政策を推し進めていったのでしょうか。

 

参考文献 新人物往来社 武田勝頼 柴辻俊六著

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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