司馬懿(しばい)は曹叡(そうえい)が亡くなると魏の三代目皇帝を支える人材として、
曹爽(そうそう)と一緒に魏の政権を盛り立てていくことになります。
しかし司馬懿は曹爽によって閉職へ追いやられることになります。
司馬懿を閉職へ追いやることに成功した曹爽は魏の政権を立て直すために名士を退けて、
中央集権制を確立するために何晏(かあん)達と協力して魏の政権の改革へ向けて動き始めます。
そんな中曹爽達が一族・側近達を連れて洛陽から出て行く情報を手にした事をチャンスと捕らえ、
司馬懿も動き始めます。
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司馬懿のクーデター
司馬懿は曹爽達が洛陽城郊外にある墓参りへ向かったとの情報を聞くとすぐに行動を開始。
彼は皇太后へ「曹爽一派が謀反を起こしている」と上奏します。
皇太后は司馬懿の上奏文を読んで彼に曹爽一派の官職を解任する命令を出します。
曹爽一派は洛陽郊外で皇太后の命令を受け取ると反抗することなくすんなりと受け入れて、
自宅へと帰っていきます。
その後司馬懿は曹爽一派の仲間である張当(ちょうとう)を捕縛すると取り調べを行い、
曹爽一派や彼の側近達が魏王朝に対して謀反を企てているとの情報を入手。
そして司馬懿は自宅謹慎している曹爽一族を処断すると共に、
曹爽に加担していた何晏(かあん)や桓範(かんはん)ら側近達も粛清します。
こうして魏王朝にクーデターを企てていた(曹爽は皇帝の血族であるのに、
謀反を起こす必要性が感じられない。
これは司馬懿が企てたでっち上げのの罪の可能性が高い)中心人物達を
処刑することによって事件は解決されます。
司馬懿への褒美はこの三つだ
魏の三代目皇帝である曹芳は司馬懿の活躍によって、
曹爽達のクーデターが未然に防ぐことに成功した事を大いに喜び彼へ褒美を与える事にします。
司馬懿への褒美の内容は
その1魏の宰相の位への就任。
その2領地の大幅アップ。
その3上奏を行うときにはいちいち名前を称さなくてもいい
以上三つを彼の褒美として下賜しようとします。
そして曹芳は王粛(おうしゅく)を使者として司馬家へ向かわせます。
皇帝のご褒美を見事に断る
司馬懿は王粛が皇帝から曹爽討伐のご褒美を与えるとし
上記三つを用意しているから受け取るようにとの言葉を伝えられます。
司馬懿はすぐに「先帝陛下が亡くなった際、今上陛下を補佐するようにと言われています。
そして今回曹爽が曹魏へクーデターを企てていたので討伐したまでで、
このような褒美を承るようなことを致しておりません。
また私が陛下から宰相の位を下賜されて、
私が就任すれば天下の名士達や陛下の家臣達からあらぬ噂を立てられるかもしれません。」と
ご褒美をもらうことを拒否します。
王粛は司馬懿の言葉を聞いて、皇帝である曹芳の元へ帰還します。
10回も断った司馬懿
司馬懿はその後も皇帝である曹芳から「曹爽討伐のご褒美を受けよ」と何度も使者がやってきます。
その度に司馬懿は皇帝に「私は受けるような活躍をしておりません」と幾度も断ることになります。
こうしたやり取りが10回目ほど続いた時に曹芳の方が根負けして、
曹爽討伐のご褒美を取り下げることにします。
司馬懿の対応こそまさに「神ってる」と言えるのではありませんか。
三国志ライター黒田レンの独り言
曹芳は司馬懿へ九錫(きゅうしゃく)の礼を与えようとします。
すると司馬懿は驚いて「陛下。この九錫の礼はみだりに人臣へさずけてはなりません。
曹操様は後漢王朝から信頼を得ていたのでこの礼を授かっておりましたが、
現在私ごときにさずけてはなりません。」と強く反対したことによって取りやめになります。
この九錫の礼は皇帝から皇位を譲り受ける前段階と言われており、
宰相の位を受けていないのに九錫の礼などを受けてしまえば、
魏の国内から大反発が来ることになりせっかく政敵を倒して司馬家が安泰になったのに、
すぐに潰されてしまうことになってしまいます。
そのためさすがの司馬懿もこれをすんなりと受け入れるわけには行かなかったのでしょう。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書1 今鷹真・井波律子著など
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