ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく
「ろひもと理穂の三国志友情パワー」のコーナーです。
孫堅(そんけん)といえば劉備や曹操とともに競い合った世代のひとりです。
江東の猛虎と呼ばれていたほど武勇に長けていた人物です。
小覇王と呼ばれた孫策の父であり、呉の皇帝・孫権の父でもあります。
孫堅に従っていた将兵も強かったことで知られていますが、
特に「四天王」と呼ばれた四人の武将は猛将として恐れられていたそうです。
今回、キン肉マンたち正義超人の友情パワーに負けぬ、
素晴らしい友情を見せつけてくれるのはこの中の二人。黄蓋と韓当です。
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黄蓋は厳しいときには厳しい!!
三国志演義では鉄鞭を振るうという個性豊かな黄蓋(こうがい)。
戦場で鞭使って戦うってどうやるんだろう??という疑問もありますが、
とにかく厳しいひとだったようです。
黄蓋が上司だったら怖いですよー。
石城県の県長になったときを例に出してみましょう。
とにかくこの県の役人は言うことをきかない状態でした。
統制がとれていないのです。黄蓋は二人の役人を掾に抜擢し、他の役人たちを監督させます。
そのときに黄蓋はこう言いました。
「この二人に不正やごまかしがあった場合、鞭打ちや棒叩きではすまさぬ。精一杯勤めよ」
ですが黄蓋は書類などに目を通すことはしません。
だんだんと緩んできた二人は法を守らぬようになります。
黄蓋は極秘に調査を進めていて不正の証拠を掴んでいました。
そして役人たちを集めた酒宴の席で、その罪を問いただしたのです。二人は土下座して謝罪します。
黄蓋は「鞭や棒ではすまさぬと言ったはずだ」と言って二人を処刑するのです。
石城県の役人はおろか他県の役人までが震えあがりました。
黄蓋はこうして九県の県長を歴任し、法を遵守する統治を徹底したのです。
なんせ処刑ですからね。このひとが上司だったら誰も手を抜いて仕事なんてできません。
韓当(かんとう)の部隊が気になる!!
三国志演義では大刀を振るう猛将です。
後に呉の特殊部隊「敢死」一万を率いています。
敢死軍とは、実に謎の集団です。
特殊部隊ですからね。どんな凄い部隊だったのかと気になります。
北方謙三先生の「三国志」にも呉には特殊部隊が登場しますね。
彼らはみな山越の異民族で構成されていて、山岳戦において異常な速度と強さを誇っていました。
彼らが夷陵の戦いで活躍するというものです。
彼らは活躍することで山越の存在を孫権に認めてもらうという使命を帯びていましたから、
死を覚悟して訓練し戦っています。
民族の存亡を託されていたからです。「致死軍」という名前です。
史実の敢死軍とはどんな感じだったのでしょうか。
名前からするとやはり、確実に決死隊的な存在でしょう。
一体どんな身の上の人たちで構成されていたのでしょうか。
赤壁の戦いで友情パワーさく裂!!
そんな二人が臨んだ戦いの一つに「赤壁の戦い」があります。
孫権軍はこの黄蓋の偽りの投降の作戦が大成功して曹操軍を焼き尽くすのです。
この功績で黄蓋はようやく准将軍になれました(武鋒中郎将)。
それはさておき、赤壁の戦いの戦場での一場面です。
黄蓋は敵の放った矢に当たり冷たい河へと落ちます。
幸運にも味方の兵に助けられるのですが、
その兵が黄蓋だと気が付かず、とりあえず厠に捨てて置いたのです。
凍死しそうな黄蓋。黄蓋は最後の力を振り絞って、韓当の名前を叫ぶのです。
その声はテレパシーとなって韓当に届きました。
韓当は混乱する戦場の中で黄蓋のもとに駆け付け、
その姿を見て涙を流しながら濡れた衣服を取り換えました。
こうして黄蓋は命を取り留め、武鋒中郎将になれたわけです。
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三国志ライター ろひもと理穂の独り言
と、呉書には書かれていました。
ちなみにテレパシーというくだりはフィクションです。
すみません。私が勝手に加えてしまいました。
想像するとそんな感じだったんで。
とにかく二人の友情には感服しましたね。
皆さんはどう思いますか。
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