女性を題材にした大河ドラマについて、2008年の大河ドラマ『篤姫』を除いて、視聴率が低いと言われています。『篤姫はなぜ人気がある?大河ドラマHITの法則』で取り上げたように、史料などの記録がほとんど残されていないため、ドラマのほとんどが実際の事実とは違うと指摘されています。
大河ドラマ『篤姫』は開始から終了まで視聴率の高い状態を維持していました。大河ドラマがきっかけで篤姫が注目されるようになり、評価されるようになったと言われています。この記事では、篤姫について生きざまと現代の女性の魅力との関係について取り上げます。
この記事の目次
篤姫ってなぜ「数字を持っている」んでしょう!?
『篤姫はなぜ人気がある?大河ドラマHITの法則』では、宮崎あおいの演じる篤姫の魅力について取り上げました。最初に、篤姫になったように宮崎あおいが完璧な役作りをしたことによって視聴率が高くなったことを取り上げました。
篤姫の周りの男性について、草食系のキャストであることも高視聴率の要因として挙げました。篤姫について、健康的で丈夫であることや堂々と意見を言うことも数字を持っている要因として挙げられるかもしれません。『篤姫はなぜ人気がある?大河ドラマHITの法則』では宮崎あおいの演じる篤姫を親父ゴロシの魅力的な女性に仕立てたと評価しましたが、2018年の大河ドラマ『西郷どん』では親父ゴロシの一面はほとんどありません。健康的で丈夫であることや幕末の動乱を健気に生き抜いたことが評価されています。
将軍家に嫁いだ篤姫の生きざまを知ろう
『島津斉彬と天璋院篤姫は実際どんな関係だったの?』では、篤姫は13代将軍徳川家定の正室として次期将軍に徳川慶喜を指名するよう働きかけましたが、14代将軍は徳川家茂になりました。14代将軍徳川家茂になったとき、公武合体政策として和宮の降嫁がありました。篤姫の役割は既に終わっており、実家の薩摩藩から帰国の申し出がありましたが、その申し出を断りました。断った理由として和宮と仲が良くなったからと考えられます。
篤姫は実家である薩摩藩に対して徳川家救済の嘆願をおこないました。彼女たちは新政府軍の江戸城総攻撃を前に西郷隆盛と勝海舟の会合を援助しました。江戸城は無血開城となり、内戦を防ぐことができました。篤姫は明治維新後、大奥の元女中の就職や婚姻をあっせんしました。徳川家達の教育に尽力し、薩摩に帰ることなく、江戸で49歳の生涯を終えました。
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現代における、女性の強さってなんでしょうね?
篤姫の魅力は強さにあると考えられます。篤姫と現代における女性の強さについて考えます。まず、人の意見を聞いて流されるわけではなく、ブレない強さがあることが挙げられます。宮崎あおいの演じる篤姫にも意見を堂々と言うブレない強さを見ることができます。
他に、相手の肩書によって態度を変えないことが挙げられます。篤姫は和宮が大奥にはいるとき、大奥のしきたりに従わせたという点については篤姫のブレない姿勢が見られます。突発的なトラブルにも動揺しないで、冷静に対応できることが強さの要因になっています。大河ドラマでは大政奉還や江戸城無血開城で冷静に対応する篤姫に注目したいと思います。
歴史上の人物で魅力のある女性といえば?
魅力のある女性について、この記事では生きざまと美しさのそれぞれの視点で取り上げます。生きざまで魅力がある女性として、井伊直虎を取り上げます。2017年に大河ドラマ『おんな城主 直虎』が放送され、注目されるようになりました。直虎がいなかったら徳川四天王の井伊直政や幕末の大老井伊直弼がいなかった可能性があります。
跡継ぎのいないという井伊家の難局を乗り切ったという点で魅力のある女性として推薦したいと思います。ちなみに、跡継ぎが幼い時や誰もいなくなったときに中継ぎとして女城主がいました。井伊直虎以外では、今川義元の母寿桂尼が今川家の当主になっていたことがあります。明治時代から日本人女性の写真が残っています。写真の美しさから魅力のある女性を取り上げます。最初は楠本高子です。楠本イネの娘で、シーボルトの孫に当たります。銀河鉄道999のメーテルのモデルになったということでも有名です。
次に、坂本龍馬の妻・おりょうです。写真から凛としていて気の強さがにじみ出ています。寺田屋事件では、風呂に入っているとき、裸に布一枚羽織って龍馬に危険を知らせて逃したことがあるという話は有名です。次は木戸孝允の妻・木戸松子です。元は京都の芸者で、大河ドラマで幾松という芸者が出るのを見ると思います。
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幕末ライターオフィス樋口の独り言
この記事では篤姫の本当の魅力として、ブレない姿勢と堂々と意見を言うことを挙げました。どの時代にも、男性女性関係なく、ブレない姿勢は人を引き付ける魅力となっていることが分かります。歴史上の女性と言えば、戦国時代の淀殿のようにマイナスの印象を受ける人物を思いつく人がいると思いますが、歴史上の女性の見方を変えてみたいと思います。
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