皆さんは夏侯惇にどんなイメージを持っているのでしょうか。たぶん夏侯惇と言えばどんなイメージと聞けば、片目の武将と答える人が多いと思います。レンも夏侯惇は某ゲームに登場する夏侯惇のイメージが強いので、片目で眼帯しているイメージが強いです。そんな夏侯惇ですが、実は鏡を見るのが大嫌いなんです。どうして夏侯惇は鏡を見るのが嫌いなんでしょうか。
夏侯惇が鏡を見るのが嫌いな理由はブサイクだから
夏侯惇が鏡を見るのが嫌いな理由はどうしてなのでしょうか。それは彼がブサイクだからなのでしょうか。でも某ゲームや漫画では夏侯惇がそんなにブサイクな顔をしているわけではありませんし、正史三国志や三国志演義にも彼がブサイクであったと記載されているわけでもありません。ではどうして夏侯惇は鏡を見るのが嫌なのでしょうか。それは彼の顔の特徴が原因でした。
夏侯惇の悪口がささやかれていたから
夏侯惇は片目になってから軍の中である悪口を囁かれていたそうです。夏侯惇は片目であったのと最古参の武将・夏侯淵と区別をするため、「盲夏侯」と呼ばれていたそうです。夏侯惇はこの噂を聞いて鏡を見るたびに怒りを覚えて、鏡を投げて勝ち割っていたそうです。それくらい鏡を見るのが嫌だった夏侯惇ですが、どうして片目になってしまったのでしょうか。
※kawa註
この記事では、夏侯惇が鏡を叩き割ったと書かれていますが夏侯惇の時代の鏡は、現在と違ってガラスではなく、銅の鏡の表面を研磨して凹凸を取り去ったものでした。つまりは銅鏡で叩きつけて欠けたり、歪んだりはするかもですが割れるような事は無かったのです。
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夏侯惇が片目になったのは呂布との戦のせい
夏侯惇はどうして片目になったのでしょうか。それはある戦が原因です、その戦とは呂布との戦でした。曹操は父が徐州の太守・陶謙に殺害されたことで怒り、徐州の太守・陶謙に復讐するため軍勢を率いて攻め込みます。
夏侯惇はこの時、曹操の本拠地の守備を任されていましたが、呂布が曹操の部下と手を組んで反乱。呂布は曹操の勢力のほとんどを手に入れることになりますが、曹操が帰還した事と荀彧の活躍により何とか守り通します。その後曹操が帰還してきたことにより呂布との戦いが始まることに。夏侯惇は曹操に従って呂布軍と激戦を繰り広げていきます。
夏侯惇は呂布とのある戦で軍勢を率いて戦に参加しているときに、流れ矢が彼の顔面に直撃してしまいます。彼はこの時、目に当たった傷の激痛を我慢しながら戦を継続し、何とかこの戦には勝利することができました。
三国志演義ではこの時の描写がえぐい
三国志演義でも夏侯惇が片目になったときの描写が描かれていますが、ちょっとえぐいです。夏侯惇は呂布との戦に参加しますが、呂布の武将・曹性が放った弓矢が彼の左目に直撃してしまいます。夏侯惇は左目に突き刺さった矢を引っこ抜いて「俺の体は父と母からもらったものだ。この目玉を捨てるわけにはいかん!!」と言って目玉を食べてしまいます。
そして目玉を食った夏侯惇は曹性を刺し殺してしまうのでした。えぐくないですか。いくら戦闘中とはいえ、自らの目玉に刺さった弓矢を引っこ抜いて食べてしまうなんて子供が見たらトラウマになるレベルです。さらにこの時の夏侯惇の印象が強すぎて、荒くれ者のイメージを強くしてしまったのかもしれません。
三国志ライター黒田レンの独り言
いかがでしたでしょうか。今回は夏侯惇が鏡を見るのが嫌な理由を紹介しました。三国志演義で夏侯惇が目玉を食った強烈な印象があるため、誰かに悪口を言われたすぐに殺してしまうようなイメージが持たれやすいですが、事実は意外とガラスのハートを持った繊細な人だったのです。
そのため皆さんも強気の人でがーがーいっている人が一人くらいは周りにいると思いますが、その人ももしかしたら強気の姿勢を見せているだけで、本当はガラスのハートを持った心が繊細な人かもしれないので、いじめないでくださいね。
参考 ちくま学芸文庫 正史三国志魏書など
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