鎌倉時代は、武士が歴史の表舞台に登場してきた時代です。
それまでは貴族中心の文化で、食事も細かい作法が決められていました。
また、乳製品と魚を一緒に食べると腸に虫が発生するといった
迷信が信じられていたためメニューに偏りが出やすく、
不健康な食事によって早死にする貴族もたくさんいました。
しかし、鎌倉時代になり、武士たちは戦で膨大なカロリーを消費するようになりました。
それまで室内での生活が中心だった貴族とは、比べ物にならないほどの運動量です。
そこで、戦に耐えられる体力を維持できるようにするため、
それまでの細かい作法や迷信にとらわれることなく、
栄養バランスの整った食事をするようになったのです。
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主食は玄米!現代から見ても健康的な食生活
鎌倉時代の主食は玄米でした。
この時代、厚手のふたをつけた羽釜が広まったため、
それまでは米を蒸していましたが、炊くようになりました。
それに合わせて干し魚や大根汁、また、自分たちでとった新鮮な野菜や肉も食べていました。
遠方から都に運ばれてきた保存食ばかり食べていた貴族とは大きく異なります。
鎌倉時代の武士たちの食事は、質素でしたが、健康的なメニューでした。
また、戦の時には、3〜4回に分けて食事をすることもありました。
栄養バランスの整った食事をしっかりとっていたため、
鎌倉時代の武士たちは、まるで金剛力士像のように
ムキムキマッチョだったのかもしれません。
また、鎌倉時代になると、
現在の私たちの食事に欠かせない調味料である「しょうゆ」のもととなる
「たまり」が登場します。
この「たまり」は、戦陣での食事に大変重宝されました。
ちなみに、味噌汁が登場するのは、もう少し後の室町時代になってからのことなのです。
調理技術が向上し、料理の専門家が登場した鎌倉時代
鎌倉時代、調理技術が大きく向上したことによって、
汁物、煮物、煎り物、炙り物、蒸し物、漬物といった
「和食」の基本的なカテゴリーが誕生しました。
また、桃や梨といった果物や、柚子や金柑などの柑橘類も食べられていました。
肉類は、鳥やいのしし、うさぎの肉がメインでした。
また、食事は折敷と呼ばれるお盆の上に乗せて出されていました。
味付けは塩やお酢、醤が主に使われ、とても質素でした。
この醤というのは、米や麦、豆などを発酵させてから塩を含ませて作られた調味料で、
鎌倉時代から使われるようになりました。
鎌倉時代の食事は、平安時代の形式的・儀式的な食事内容と比べるととても健康的でした。
現代のインスタント食品や加工食品が多様されている食事内容と比較しても、
鎌倉時代の武士や農民の食事のほうが身体に良いといえるのかもしれません。
現代人も見習うべき鎌倉時代の武士の食事
実際、今でいうサプリメントや機能食品は鎌倉時代にはありませんでしたが、
武士たちは戦がない時には農業をして身体を動かしていたため、
生活習慣病や、骨粗しょう症になることはほとんどありませんでした。
しかし、鎌倉時代の医学書「病草紙」を見てみると、
肥満が原因で人に支えてもらわないと歩くことができない裕福な家の女性の記述があります。
この記述からも分かるように、富裕層は平安時代とあまり変わらず不健康な食生活を送っていました。
そのため、武士や庶民と比べると肥満だけでなく、
脚気や偏った食事が原因の栄養失調によって身体を壊すことがとても多くありました。
近年では、大学の教授や学生によって「鎌倉時代の食事を再現する」という取り組みが行われています。
今の時代は加工食品や保存食も多く、何も考えずに食べていては、
平安時代の貴族のように栄養バランスの偏った不健康な食生活になってしまいがちです。
そうすれば生活習慣病のリスクも高くなってしまいます。
決して豪華ではありませんが、新鮮な野菜や肉類、そして栄養価の高い玄米を食べていた
鎌倉時代の武士や農民の食生活から私たちが学べることは、たくさんあるはずなのです。
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