孔明・龐統・徐庶の三人がいたら劉備軍はどうなっていたの!?劉備には優れた軍師が二人いました。一人は臥竜と呼ばれた孔明。二人目は鳳雛と呼ばれた龐統。もしこの二人に加えて徐庶が劉備軍に加わっていれば、どうなっていたのでしょうか。歴史に「もしも」は禁忌ですが、ここではレンの妄想ワールド全開で紹介していきたいと思います。
劉備軍に三人の軍師が揃う
劉備は赤壁の戦いが終わると孔明や徐庶に加えて、鳳雛こと龐統を仲間に加えることに成功。荊州の司馬徽門下の中でも優秀とうたわれた三人が劉備の元に集うことになります。
徐庶を手に入れた事で戦略の幅が広がる
劉備は孔明・龐統・徐庶の三軍師が揃うとどのような事が起きうるのでしょうか。レンは劉備が徐庶を手に入れた事で戦略の幅が広がるのではないのかなと思っています。史実では劉備が益州と漢中を手に入れた頃、文官には馬良や劉巴、董和など多くの人材がいましたが、軍師と呼ばれる人材は孔明だけしかいない状態でした。
しかし徐庶が加わることによって、益州攻略戦の時に戦死するはずであった龐統を死なせいないで済む可能性が生まれます。そして徐庶が加わり龐統が生き残れば、劉備軍の軍師の層が厚くなり、戦略の幅が広がったと考えることができます。でもどうして龐統が死ななくて済むのでしょうか。それは劉備が益州攻略戦に龐統ではなく徐庶を連れて行くからです。
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龐統を益州攻略戦に連れて行かない理由
益州攻略戦に龐統を連れてかないで徐庶を連れていく理由は龐統よりも徐庶の方が知名度が低いからです。龐統は鳳雛と呼ばれて、臥竜・孔明と同じくらいの名声を持っていました。彼の名声は多分益州にも伝わっていた事でしょう。
しかし徐庶の名声はそれほど高くなく、彼を連れて行けば、劉璋の警戒心も薄まり、より簡単に益州を攻略することが出来た可能性があります。そのため龐統を益州攻略戦の軍師として連れて行かないで、徐庶を連れて行けば、龐統も死なずに済んだでしょう。
徐庶がいれば、関羽も死なず、荊州も失わずに済む!?
孔明・龐統・徐庶の三軍師がいれば、関羽と荊州を失わずに済んだかもしれません。どうして関羽と荊州を失わずに済むのか。
レンの妄想ワールドによれば、劉備が荊州へ徐庶もしくは龐統を関羽の軍師として派遣するからです。レンは関羽が敗北した原因の一つとしてアドバイザーがいなかったせいだと思っています。史実では関羽が、民政に関することも一人で決め、荊州北部を攻略するときも総司令官として前線に出て戦わなくてはならない状態でした。
そのため関羽が荊州北部を攻略している最中、孫呉の軍勢の攻撃を受けて荊州を南部すべてを失い、関羽も孫呉の軍から攻撃を受けて亡くなってしまいます。しかし彼にアドバイザーとして徐庶もしくは龐統がいれば、荊州と関羽、両方を失わずに済んだと思われます。徐庶もしくは龐統が関羽の軍師として民政や戦略面のアドバイスをしっかりと行う事で、孫呉との関係もしっかりと築くことが出来でしょう。
孫呉との関係がうまくいっていれば、魏の領土である荊州北部を攻撃している最中に孫呉から攻撃を受けることもなかったでしょう。そして孫呉からの攻撃を受けなければ、荊州を失うこともなく、関羽も死なずに済んだのではないのでしょうか。
三国志ライター黒田レンの独り言
徐庶は魏の明帝・曹叡の時代にまで生きていたそうです。そのため(ここでもレンの妄想ワールドですが)蜀の北伐戦の時に徐庶が居れば、彼が孔明に戦術や戦略のアドバイスをすることになったでしょう。
徐庶が孔明に戦術・戦略のアドバイスを行っていれば、街亭の戦いの時に馬謖を起用することもなく、最初の北伐戦で大成功を収めていたかもしれません。このように三国志の世界を妄想してみると結構面白いので、時間が空いた時に妄想ワールドを広げてみるのもいいのかもしれませんね。
今回は最後の最後までレンの妄想ワールド全開に付き合っていただきありがとうございました。
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