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呉の呂蒙は死の原因は病気だった?関羽の呪いは関与してない?

2019年6月17日


 

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呂蒙

 

「呉下の阿蒙にあらず」で知られる孫呉の名将・呂蒙(りょもう)

 

朱然に後を引き継ぐ呂蒙

 

彼は病が原因で亡くなることになりますが、どのような病にかかって亡くなったのでしょうか。正史三国志(せいしさんごくし)三国志演義(さんごくしえんぎ)から調べてみましたので、ご紹介したいと思います。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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荊州平定後病にかかる呂蒙

父・関羽とともに亡くなる関平

 

呂蒙は関羽(かんう)を討伐し、荊州(けいしゅう)南部を平定することに成功。

 

孫権

 

その後呂蒙は孫権(そんけん)から荊州平定後の功績が認められ、黄金や銭など様々な物を与えられます。しかし呂蒙は孫権からの褒美をすべてもらう前に倒れてしまいます。

 

 

 

呂蒙の治療を尽くすも…

呂蒙が病気になり心配する孫権

 

呂蒙は病に倒れると孫権から色々な医者が派遣されてきます。例えば鍼灸専門の医者がやってきたり、薬師がやってきて呂蒙の病気に聞くような薬を調合したりといろんな専門医が呂蒙の元を訪れて力を尽くしていきます。

 

そのかいあって呂蒙は一時的にですが、病が回復に向かいます。孫権は呂蒙の病が回復した事を知ると大喜びで、大赦を行い、重臣達も呂蒙の回復を喜んでいました。しかし呂蒙の病は一時的にしか回復することはなく、再び病をぶり返し、そのまま亡くなってしまうのでした。

 

はてなマークな劉備と袁術

 

ざっくりとですが、呂蒙の死を紹介してきましたが、彼の死因はいったい何なのでしょうか。

 

 

 

呂蒙の死因はいったい何!?

呂蒙

 

呂蒙の死因はいったい何なのでしょうか。

 

正史三国志を調べてみても、呂蒙の死因については詳しく書かれていませんでした。そのため呂蒙の死因が一体何なのかわからない状態ですが、ある程度予想することはできます。

 

魯粛

 

呂蒙は荊州平定後いきなり病にかかったのではなく、荊州平定戦が行われる前から病気になりがちでしたが、魯粛(ろしゅく)の跡を継ぐまでは、病にかかっていたなどの記載はありませんでした。

 

三国志ライター黒田レン

 

そこでレンは呂蒙の死因については、彼の疲労が原因だったように思われます。呂蒙は魯粛の跡を継ぐと外交や内政など多くの事に目を向け、多忙な毎日を過ごしていたでしょう。

 

顔良を討ち取る関羽

 

更に孫呉と蜀の間で決着がつかないまま放置されていた荊州問題もあります。呂蒙はこのように多くの事をさばかなくてはならない為、休む暇もなく働かなくてはなりません。

 

呂蒙を慰める孫権

 

そのため呂蒙は疲労が体に残り、関羽討伐戦が始まる前から病にかかり、関羽討伐戦が終わり、長年の問題だった荊州問題が解決すると蓄積していた疲労が噴出し、呂蒙の体を病が蝕んだのではないでしょうか。正史三国志では呂蒙の死因は不明でしたが、三国志演義では呂蒙の死因はどのように描かれているのでしょうか。

 

 

関羽の呪いで死ぬ呂蒙

関羽の呪いで殺される呂蒙

 

三国志演義の呂蒙は関羽の呪いで亡くなっています。

 

呂蒙は荊州平定戦後、関羽の呪いに祟られてしまい発狂。その後呂蒙は孫権に向かって「俺は関羽だ!!」と言った後、体中から血を噴き出して亡くなってしまったそうです。

 

三国志演義の呂蒙の死因は関羽の呪いですが、体中から血を噴き出して亡くなる様子って、かなりグロテスクで読者も中々読みにくいと思うのですが、レンの気のせいでしょうか。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

三国志ライター黒田レン

 

今回は正史三国志と三国志演義から呂蒙の死因を紹介しました。

 

甘寧と呂蒙と凌統

 

正史三国志の呂蒙の死因は病にかかったとされるだけで、どのような病にかかって亡くなったのかは、いまだ謎のままで明らかにされていません。それ比べて三国志演義の呂蒙の死因はちょっと脚色しすぎじゃないかなと思ってしまいます。

 

関羽の呪いでなくなる孫皎(そんこう)

 

三国志演義の呂蒙は人気者の関羽を討ち取ってしまったせいか、「呉下の阿蒙にあらず」の故事や自分の死後、授与された物を孫権へ返上した事などが描かれていないそうです。三国志の中でも屈指の名将で人気者の関羽を殺害したとはいえ、三国志演義での呂蒙の扱いは、ひどすぎるような気がします。

 

そのため皆さんは呂蒙を正当に評価してあげてくださいね。

 

■参考 正史三国志呉書など

 

関連記事:荊州奪還戦!実質的に関羽の首を取ったのは呂蒙ではなく陸遜だった?

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英雄の死因

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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