曹操の後を継ぎ、父が到達できなかった「帝位奪取」という目標の実現に成功した曹丕。
その生涯は短く、すぐに曹叡の時代になり、魏王朝は内部から腐っていくわけですが、もしこの曹丕が早世しなかったら、三国時代の歴史はどう変わっていたでしょうか?
陳寿の『正史三国志』の記述をベースに、そんなイフ展開を考えてみました!
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この記事の目次
正史では「曹丕は四十歳の時に不運に憑かれるがそれを乗り越えれば幸運が向いてくる」と予言されていた?
まずは『正史三国志』に記載されている曹丕の伝承を確認しましょう。
正史の注釈においては、若き日の曹丕の、以下のようなエピソードが紹介されています。
・当時、高元呂という者がおり、人相見で有名だった
・そこで(曹丕は)彼を呼んで「私の寿命はどれほどだろうか」と訊ねてみた
・高元呂は、「あなたの寿命は、四十歳のとき苦難がありますが、それを乗り越えさえすれば、その後は心配はございません」と答えた
で史実における曹丕はどうなったか?
四十歳の時に没してしまっています(!)。
ううむ、上の高元呂という人物の予言はいったい、なんだったのでしょう。
なかなか気になるエピソードではないでしょうか。
この高元呂なる人物が、本当に一種の神通力をもった占い師だったと仮定すると、「曹丕は四十歳の時に病気になる運命は背負っていたが、そこで死ぬという運命までは決まっていなかった」、つまり「四十歳を過ぎて安泰に長生きする未来」も、高名な占い師に「あり得る未来としては見えていた」ということではないでしょうか?
そこで思い切って、高元呂のもうひとつの予言、すなわち「曹丕が四十歳の時の運命を乗り越え、その後は長生きした」世界を考えてみましょう!
曹丕が少なくとも父親の曹操の没年齢(六十五歳)までは生きられたとしたら、三国時代はどうなっていたかと、考えてみるわけです!
正史を見る限り、曹丕には「長生きさえすれば名君にオオバケの可能性があった」?!
また『正史三国志』を紐解いてみましょう。
陳寿のいうところでは、
「曹丕は文学的素質を具え、筆を下せば文章となった。広い知識をもち、記憶力にすぐれ、多方面にわたる才能を有していた。もしこのうえに広大な度量が加わり、公平な誠意をもってつとめ、道義の存立に努力を傾け、徳心を充実させることができたならば、古代の賢君も、どうして縁遠い存在であったろうか」
という評価がなされています。
度量や誠意が足りなかったせいで微妙なキャラ扱いになったが、それさえ備えていれば古代の賢君にも匹敵する偉人になれたかもしれない、というのです。そこでよく考えてみると、「度量」や「誠意」というものは文武の才能とはまた違い、中年になってから急に円熟してくる可能性もある素質ですよね。
曹丕が四十歳で亡くなることなく生きていれば、中年男性として人格の丸みを得て、弱点とされていたはずの度量や誠意の面にも改善が見られたかもしれません。もしそうなっていたら、「古代の賢君に匹敵」する名君として功績を残せたかもしれません。
曹丕が四十歳で亡くならず、六十五歳くらいまで生きて、かつその人格の欠点を克服して陳寿の言う「古代の賢君に匹敵」できていたら、魏王朝、そして曹一族のその後は、かなり安泰な繁栄を迎えていたのではないでしょうか?
まとめ:たとえ才能を開花させられなくとも、曹丕があと二十五年生きていたら決定的な違いが起きたはず!
ともあれ、このイフ展開、そんなに難しく考えなくともよいのかもしれません。たとえ曹丕が「度量と誠意には欠ける君主」のままであったとしても、あと二十五年生きてさえくれれば、それだけでその後の歴史ががらりと変わっていたはずなのです。
というのも、クーデターを起こして魏王朝の実権を握ることになる司馬懿の生没年を調べると、「司馬懿は曹丕の死から二十五年後に」亡くなっているのです。
三国志ライター YASHIROの独り言
ということは曹丕があと二十五年生きていれば、曹叡の時代になる前に、司馬懿の寿命が尽きていた!
曹丕が生きていれば、彼の有能な取り巻きが団結していたでしょうから、司馬懿がクーデターを起こす余地もなく、司馬懿は単に有能な軍師として生涯を終えていたことでしょう。たったあと二十五年、何もせずに長生きするだけでも、曹一族の没落を防げたかもしれない!
こう仮定すると、やはり人間、健康長寿でいること自体も才能のひとつなのだな、と思ってしまいなかなか感慨深いですね。
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